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2013年度08月号

by H.K

 5月に入ってから歴史の時間に第二次世界大戦について学ぶことになった。アメリカで学ぶ歴史は日本で学ぶものと見方が全く異なって見えた。まず想像ができない。昔、日本とアメリカが戦っていたことが。なぜなら今、僕はこうしてアメリカにいる。すぐ隣に友達がいる。僕と彼が憎しみ合い、殺し合う姿は考えられないし考えたくもない。次に思ったのは、日本もアメリカも大して変わらないということ。僕達の国では自分達の歴史を自虐的に学ぶ。政治家が力を失い軍隊が権力を握り国民は日本のために戦うことを強要された。名誉のために戦い、捕虜になることを拒み「天皇陛下万歳!!」と言って自決する。現代の人々はそれを過ぎた愛国心だと言い、今では自国を愛そうとしなくなった。 一方、アメリカはどうか。彼等もやはり国のために戦っていたのだ。もし、日本の各教室に、日本の国旗が掲げられ、授業の前にその旗に宣誓するとしよう。それを見た日本人は決して良い思いをしないはずだ。けれどアメリカでは毎日のように行われている。野球やホッケー、僕の部活であるラクロス部も試合の前になると宣誓をする。アメリカでは愛国心ととられる行為が日本では洗脳と言われる。「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があるがまさにその通りだ。戦後まもなくアメリカを始めとする戦勝国が戦争の指導者達を次々と裁判にかけ、日本を開拓していった。もしも立場が逆であったら?偏っていた植民地が平等に振り分けられ今とは違った平和があったかもしれない。日本側であったアジア諸国も「欧州勢と対等に戦い、アジア人の地位向上を手助けをしてくれた」と称賛し現在のような憎しみ合いがなくなっていたかもしれない。だがその後のことは想像もつかない。第三次世界大戦が起きている可能性だってある。だから今の日本もそのあるべき姿なのかもしれない。ただ、「勝った者が正義、多数意見が民意」などといった現代の風潮は疑問に思う。それ以上に情けないのはそれらを単純に受け入れ、何の感情も持たなくなることだ。日本を愛することは間違っているのか、アメリカがこの世界の全てなのか。昔、アメリカという国を本気で怒らせ、黄色人種国家であるにも関わらず勇敢に戦った国があった。戦後、焼け野原になりながらもアメリカの支援を受け、彼らは経済の世界で一時的ながら頂点にたった。だが今はどうか。周りの国々にヘコヘコしながら自国はそっちのけ。未曾有の大震災にみまわれながらも政権争い。はっきり言って僕は悔しい。自分の国すら愛せなくなった自分達が。僕が日本人だと知って話し掛けてきた見知らぬアメリカ人がある時言った。「二年前の地震で僕は何も出来なかった。そんな自分が悔しかったし、嫌だった」と。何千キロも離れたアメリカという地でこんなことを思ってくれるアメリカ人がいる。なのに僕らは目と鼻の先にある被災地に足を運ぶこともしない。がれきの受け入れすら拒む。自分の子供が心配?ふざけるな。被災地の子供はどうするんだ。責任をなすりつけ合い、痛みも分かち合えないこの国が恥ずかしいし腹立たしい。僕は大人になったら正しいことを見極められるようになりたい。そしてこの国の何かを変えたいと思う。

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