>> サイトマップ

卒業生メッセージ

このページ掲載されている以外にも多くのOB・OGが社会で活躍しています。NEWSLETTERのバックナンバーや過去の巻頭言もこちらで御覧ください。

1987、88年度生 久保 純子

ウイスコンシン州ならびにニューヨーク州に2年間留学し、米高校の卒業証書を受けて帰国。半年間上智大学比較文学部に通学。その後慶應義塾大学文学部英米文学科入学及び卒業。日本放送協会(NHK)勤務時には三年連続 NHK紅白歌合戦の司会をつとめ一躍有名人となる。2009年9月、日本ユネスコ協会連盟の寺子屋運動広報特使「まなびゲーター」に任命される。

「 親元を離れて暮らした2年間で強い自立心を身につけたと思います。さらに異民族異文化との接触を通じて、 広い視野と寛容な心をもてるようになったことは、現在の仕事にも大変役だっています。」

1978年度生 岡田 光世

青山学院高等部よりウィスコンシン州に留学。
青山学院大学在学中、協定校Ohio Wesleyan Universityに1年間、準国費交換留学。
ニューヨーク大学大学院文学研究科英米文学専攻Creative Writing(創作)で修士号取得
読売新聞米現地紙記者を経て、作家、エッセイスト。主な著書に『ニューヨークのとけない魔法』『ニューヨークの魔法は続く』『ニューヨークの魔法のことば』(以上、文春文庫)、『ニューヨーク日本人教育事情』『アメリカの家族』(以上、岩波新書)、『奥さまはニューヨーカー』シリーズ(全5巻、幻冬舎文庫)などがある。

「 ひとりの日本人という“マイノリティの側”に立ってアメリカで暮らしたことが、その後の私に何よりも大きな影響を与えました。 マイノリティになって初めて見えてくるものがたくさんあります。自分とは異なる相手を受け入れ、尊重することは、容易いようで難しいものです。 文化や宗教、価値観は違っても、人の本質そのものは世界どこでもそれほど変わりはなく、人は皆、不完全で愛おしい存在である、 と思えるようになったのも、あの1年があったからでしょう。」

1980年度生 進藤 奈邦子

(国)東京学芸大学附属高校よりニューヨーク州に留学。東京慈恵会医科大学卒業。医師、医学博士。専門は内科、感染症学。インフェクション・コントロールドクター。卒後英国セント・トーマス病院(ロンドン)およびラディクリフ病院(オックスフォード)にて外科、血管外科、脳神経外科臨床研修。東京慈恵会医科大学腎・高血圧内科および感染症内科医局員を経て国立感染症研究所感染症情報センター リサーチ・レジデント。同センター主任研究官。WHO(世界保健機関)に派遣され、感染症アウトブレーク警戒対策を担当。平成17年よりWHO職員、危険病原体に対する感染制御および患者管理、インフルエンザを担当。平成21年よりWHOインフルエンザプログラム コーディネーターとして疫学・臨床・研究を統括する。

「私にとって、IF留学が世界への玄関、最初の扉でした。自然があふれんばかりのアップステートニューヨークで、 うつり行く四季を感じながら典型的なアメリカの日常に触れて楽しく過ごす一方、真摯な学究の徒に触発されて、 自分のアイデンティティ追及を余儀なくされた10ヶ月でもありました。留学生活のどれ一つをとっても、 現在の私の仕事に生きていない経験はないと言っても過言ではないと思います。」

1981年度生 勝間 靖

(私)関西学院高等部よりペンシルベニア州に留学。ICU在学中にはカリフォルニア大学サンディエゴ校へ留学。大阪大学法学部卒業。同大学院修士課程修了後,(社)海外コンサルティング企業協会研究員として途上国開発の仕事に携わる。その後、ウィスコンシン大学マディソン校で博士号を取得し、国連児童基金(ユニセフ)へ。メキシコ事務所、アフガニスタン事務所、駐日事務所を経て、現在、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。

「 私がユニセフで国際公務員として勤務していたこと、IFで高校交換留学したこととは、非常に緊密な関係がある。 というのは、そもそも「国連で働きたい」と思ったから、IF留学したからだ。 ユニセフでは、タリバーン支配下でのアフガニスタンでも子供たちの為に活動した。 忘れることができない経験である。IF留学で学んだ大切なことは、『自分がやりたいことは何か』を常に自問自答する姿勢であり、それを実現する上で必要なツールを身につけるため、 集団から離れて個人の旅に出る勇気だったように思う。それが、国際公務員や現在の大学の仕事につながっている。」

1982年度生 村上 健

(都)国立(くにたち)高校よりテキサス州に留学。慶応義塾大学文学部英米文学科卒業。現在、麻布学園英語科教諭。オセロ九段 '96 '98年度全日本チャンピオン及び世界チャンピオンのタイトル獲得に続き2000年のコペンハーゲン世界大会でも優勝し、3度目の世界チャンピオンになる。この快挙を成し遂げた様子は世界各地のマスコミの注目を浴びた。

「私は私立の中学・高校で英語を教えていますが、I F で体験したアメリカ生活が現在の仕事の原点になっています。 また、英語の文献を読めることが趣味のオセロの研究に大いにプラスになりました。 海外で開催される多くの大会に出場し、 世界中に友人ができたのも英語のお陰です。I F留学を体験していなかったなら、今のような充実した人生は無かったかもしれない、と思っています。」

1986年度生 岡野 克也

(国)大阪教育大学付属高校池田校舎よりウイスコンシン州に留学
(私)上智大学外国語学部英語学科よりカリフォルニア大学バークレー校に交換留学
伊藤忠商事株式会社を経て現在GE International Inc. 航空機エンジン事業部ディレクター

「 日本企業でも外資系企業においても一番重要なスキルはコミュニケーション能力であると考えます。 吸収力にあふれた10代に異国で外国語を用いて意思疎通・相互理解を図る経験は、 コミュニケーション能力を形成していく上でもすばらしい基礎となることは間違いありません。」

1988年度生 樋口真佳

(私)親和女子高校からサウスダコタ州デルモント高校に留学。
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、TBSに入社。
以来、報道局で政治部を中心に記者として首相官邸、外務省、自民党を担当。
06年にはTBSからニューヨーク大学大学院に留学し、修士号を取得。

IF留学で貴重だったのは、アメリカの田舎でホームステイが出来たことです。地方ならではの伝統行事に多数参加できたほか、 強い保守性、都市部との教育、経済格差、独特の人間関係にも触れ、高校生なりに「都市部だけをイメージしていては、アメリカを見誤る」 と感じました。 何よりIF留学で視野と行動範囲は劇的に広がり、別の人生が始まりました。 全国から集まったIF生はその後も様々な分野、場所で活躍し、今でも楽しい交流が続いています。」

1997年度生 徳永 陵

(県)浜松北高校よりネブラスカ州に留学。(国)一橋大学法学部卒業。
外務省入省後、カナダ・ヨーク大学シューリック経営大学院に留学、経営修士号取得
現在、在カナダ日本国大使館勤務


「海外に関する情報がいくらでも書籍・インターネットで手に入る中で、「経験でしか理解できないものがある」という事を IF留学は教えてくれました。外交という仕事は、時に書類の上だけで仕事をしがちになることがありますが、 19年前の留学経験が今もハッと気付かせてくれます。」

2001年度生 河野 妙子

聖園女学院高等学校からオハイオ州に留学
慶応大学環境情報学部卒業
新潟大学 産婦人科勤務


「IF留学を通して、どんな環境でも、適応して、生きていけるという自信がつきました。
高校生で、全く言葉の通じない世界に一人で乗り込むことはとても不安でしたが、生活していくにつれ、人間は言葉は違っても、根っこの部分では同じということがわかりました。 全く関係のなかった外国人である私を受け入れてくれた、アメリカ人の寛大さも実感することができました。
今私は、医学を志し、勉強しています。決して簡単な道ではありませんが、留学時代に得た強い精神力と忍耐力で、 今後も勉強を続けていきたいと思います。」

2005年度生 中丸 智貴

芝高等学校からミズーリ州に留学
東京大学 工学部 計数工学科 数理情報コース在学中
(株)ハートレースタジオ CTO


「この留学があったから今の自分がある。」そんなありきたりな言葉ではあるが、それしか思いつかない。 留学前には気づくことができなかったが、英語の習得というのは副産物でしかなかった。
多くの人との出会い、そこでしたこと、話したこと、どれもが見えない形とはいえ自分の一部として今も生きている。 何を得たかを言葉にするのは難しい。しかしそれが役立っていることは自信を持って言うことができる。 楽しいけれども楽しいばかりではない留学生活を通して感じたこと、それを活かし日本をよりよくするために邁進して行きたい。」

2005年度生 伊豆 明彦

学習院高等科よりオレゴン州に留学
  学習院大学法学部卒業、東京大学法科大学院修了
  弁護士 現在、西村あさひ法律事務所勤務


  
国際弁護士に憧れて高校生での留学を決意しました。親元を離れ、単身で異国の地に飛び込むことで、語学力だけではなく、異なる文化・環境への適合力や日本の国益になる仕事をしたいという強い意志が身に付いたと思います。
今後グローバル化が更に加速する中で高校時代に留学をすることは、国際的な仕事に憧れを持つ中学・高校生のかけがえのない財産になると思います。   

△上へ戻る