2009年1月号より
2002年度生 壬生真紹
筑波大学大学院・人文社会科学研究科・博士前期課程1年
皆さん、こんにちは。2002年度の壬生真紹(みぶ・さねあき)と申します。私はIFを通して2002年の夏から2003年の夏まで、アメリカのペンシルバニア州オイル・シティー(Oil City)という街に留学しました。
今回は日本事務局から「大学院で勉強していることと絡めて巻頭言を」というお話をいただきましたので、私の勉強していることが自分自身の留学経験からどのように影響を受けているかを、僭越ながら申し上げたいと思います。
私がIFの試験を受けた2001年は、ニューヨークやワシントンでいわゆる同時多発テロ「9.11」が起きた年でした。このような年に留学することを決意したのは、「このような時にこそアメリカに行って、少しでも異文化理解というものを経験したい」という思いからでした。もちろんアメリカを理解すれば異文化理解が何であるかがわかる、などということはありませんが、9.11テロを「文明の衝突」と位置づける議論が注目を浴びていたあの頃に、私なりに出した結論がアメリカ留学だったのです。
このように一見難しそうな目標を掲げて留学に出発した私でしたが、実際のところは「英語をネイティブみたいに話したい」という思いがあったのも事実です。そして、英語しか話さない環境におかれ、自分で言うと大変嘘くさいのですが、確かに英語は格段に上達したと思います。しかし、気がついてみると英語は留学の目標ではなくなっていました。留学中に英語はツール、すなわち道具になっていたのです。何をするにも英語で伝えなければならないわけですから、これは当然の帰結であったのかもしれません。
「英語を使って他のことを学びたい」。この思いを確固たるものにしてくれたのが、留学中に取っていたアメリカ史の授業でした。歴史にはたくさんの側面があって、どんな出来事にも色々な解釈があります。逆に言うと、解釈が一つしかない歴史はありません。そのことを身をもって教えてくれたのが、このアメリカ史の授業の時間でした。日本が登場するたびに、私が日本の教科書の記述を言い、それに対してクラス全員で意見を出し合ったりしました。歴史を勉強するのは、学者が書いた教科書によってだけではない。専門家ではない、同世代のアメリカの高校生達とだって、議論しながら理解を深めることができる。このことを教えてくれたアメリカ史の授業が、私の将来設計そのものをつくることになりました。
アメリカ史の授業では政治についての議論もクラス全体で随分としましたが、今申し上げたようなスタイルの議論によって、私はとても刺激を受け、大学でもっと政治学を学びたいと思うようになりました。そして、その思いをさらに強いものとした大きな要因の一つが、留学中の2003年3月に、いわゆるイラク戦争が始まり、私自身がアメリカの中から戦争を目撃したということでした。
今でこそ世論調査によればアメリカ国民の多くがイラク戦争を失敗だったと認めているようですが、当時のアメリカは本当に真っ二つでした。アメリカ史の授業では通常の授業をやめて連日のようにイラクでの爆撃の様子を映すテレビの中継をみんなで見ていました。クラスの意見も真っ二つで、爆撃されて炎上するイラクの建物を見て喚声をあげる友人達もいれば、戦争に反対し、爆撃の様子を呆然と眺める友人達もいました。私は正当化されうる戦争などないと考える人間なので、後者の友人達と一緒になって黙ってテレビを見ていましたが、貴重な機会と思い、友人のみならず先生方、ホストファミリーなどとも毎日のように議論したのを今でも鮮明に憶えています。例えばある先生と話したときに、私が「国連の決議なくしてイラクを攻撃するのは正当化されないでしょう」と言ったところその先生が「国連なんて実質的に力がないんだから無視していいんだよ」と言ったのは衝撃的でしたが、有意義な議論をできたことに感謝をしています。
世界レベルで見るとイラク戦争に対する反対は強いものでした。でも、アメリカはイラクに攻め入りました。私は悔しさを強く感じつつ、同時に「どうしてこういう政治になるの?」と強く疑問に思いました。この二つの強い思いは大学で政治学を勉強している間も消えることがなく、結果として大学院にまで進学して勉強を続けることとなりました。もし留学をしていなかったら、もし様々な人々との議論をしていなかったら、今の私はなかったと思います。
私は今、大学院でアメリカの外交政策についての研究をしています。ニクソン政権(1969−1974年)で大統領補佐官をつとめたヘンリー・キッシンジャーという人物についての修士論文を書くための勉強をしています。政治学の数多い分野の中からアメリカを研究対象として選んだのは、大学時代に良い先生方からご指導いただけたことも大きいのですが、留学中に政治に興味を持たせてくれたアメリカをもっと知りたい、という純粋な好奇心があってこそだと思っています。
せっかくなので一つだけ、アメリカ外交についての話をさせて下さい。第二次世界大戦後のアメリカの外交政策は、自由とか民主主義といった「アメリカ的価値観」の上に成り立つ部分が大きいと言われています。冷戦の時代から第43代ブッシュ政権に至るまで、アメリカが好む価値観を守るために戦争や対立がアメリカの政策の中で正当化されてきたことが幾度となくありました。日本人も含めて、アメリカ以外の国々で生まれ育つとこのアメリカの論理がわかりにくいように私は思うのですが、私の場合、アメリカにたった1年間とはいえ留学したことによって、アメリカ人の自由や民主主義に対する感情を身をもって、アメリカの人々と話した中で感じることができました。この経験は、今私がアメリカの政治家の言説がアメリカ国民にどのように受け止められるのかを想像する一助になっています。
私が留学した時代は、今申し上げたように刺激的な時代でした。しかし、その刺激はイラク戦争に代表されるようにアメリカを二分し、世界の情勢を混迷化させた時代の刺激でした。でも、今は違います。この原稿を書いている十数時間前に、アメリカは新しい指導者を迎え、世界中が注目しています。
お世辞ではなく、私は今留学されている2008年度の皆さんや、これから留学される2009年度の皆さん、さらにはその後に留学を考えられている皆さんがうらやましいです。バラク・オバマ大統領に過剰な期待をすることはよくありませんが、アメリカの歴史の中でオバマ大統領の誕生が大きな意味を持つことは間違いありません。ただ単に「白人ではない大統領が就任した」というだけではなく、おそらくアメリカの人々の価値観や意識、たとえば政治のリーダーの選び方や世界の捉え方が大きく変わっているからです。
2008年度の皆さん、ホストファミリー、お友達、学校の先生、地域の人々と、どうぞ存分にどんどん話して下さい。もちろん政治のことでなくても、何でも結構です。これから留学される皆さん、留学先で色々な人々と話せるように、自分自身の好きなことをたくさんして下さい。趣味でも読書でも、何でもいいです。そして留学先で色々な人々と話して様々な面白い話を仕入れたり、体験談を交換することこそ、留学の醍醐味だと思います。
最後に、巻頭言としてはありきたりな内容となってしまって、ごめんなさい。最後まで読んで下さった皆さん、どうもありがとうございました。良くも悪くも世界に大きな影響を与えるアメリカの変化が、世界情勢のみならず皆さんに見える形であれ、見えない形であれ、よい刺激をもたらしてくれることを祈りつつ、巻頭言の結びとしたいと思います。