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2016年02月号より

1974年度生 大 津 岩 男

東京大学教育学部附属高等学校よりColorado州に留学
国際基督教大学卒業
テレビ局勤務

高校生留学から40年を経て

小さい頃からアメリカのテレビドラマを見て、ラジオのFENを聞いてアメリカに憧れ、いつかは行ってみたいという強い思いを抱きながら中学1年からNHKの基礎英語を聞いていました。留学するんだというモチベーションは何においても勝るもの。英語を学ぶことを苦しいと思ったことはありませんでした。IFが高校生留学の募集を始めた年に、幸運にもその夢を果たすことができました。
 留学先はコロラド州のロッキー山脈に位置する人口5千人のGlenwood Springsという名の町で学校もひとつ、大型スーパーもひとつだけの所でした。アメリカというのは多種多様の人たちの国というイメージを持って行きましたが、イタリア系、ドイツ系移民が多く、わずかにメキシコ系住民がいるだけの所でまわりに白人しかいないというのは全くの予想外でした。住民が家に鍵をかけないほどの治安の良さを見て、銃を所持する国というイメージも打ち砕かれました。またこの州には、Colorado SpringsやSteamboat SpringsなどSpringsという地名が多いのは温泉が多いからでした。町にも巨大な温泉の屋外プールがあって1年中、主に年寄りたちが湯に浸かっていました。湯煙が上がる温泉というのは日本の文化と思っていただけに驚きでした。
 授業で好きだったのはCrafts(工作)で、この地方で取れるトルコ石やサンゴを使った銀細工の指輪やチョーカーなどいわゆるインディアンジュエリーを作ったり、ベルトやカバンなど皮製品を作るクラスです。作り方は教えてくれるものの、デザインから何から感じたまま好きに何でも作って良いという創造性を重んじる点は非常に新鮮でした。帰国してからも彫金スクールに通ったほどです。日本で苦手だった数学も楽しいクラスに変わりました。毎回終わりにテストをやるのですが、満点しか取れないような10問100点に、bonusと称する11問目があり毎回110点を取れました。そのうちにハッと気が付きました。出来るだけ生徒に100点を取らせようとしている教え方なんだと。それまで受けてきた日本のテストは、応用問題的なものが多く、基礎が分かっていても引っ掛け問題のようなもので苦しめられて来たのでテストを楽しみと感じる自分の変化に驚かされました。
 Debate のクラスでは毎回メンバーが2つに分かれ、2つの対立する主張をそれぞれ支持する理由、根拠を述べ議論を闘わせる姿を見て、高校生なのに自我を皆しっかり持っていてしゃべりがうまいと感心しました。日本で自分のまわりにいた友だちを見ると、寡黙で謙虚で協調性がある人が好まれ、話がうまく自己主張が強い人は少なかったように思いました。
 悲しかったのは歴史のクラスで12月8日の真珠湾攻撃の日に、不意打ちしたことを非難する意見が私に向けられ、shooting down Japsというフレーズを聞いた時です。戦争は憎しみと悲しみを生むという言葉を実感しました。
 クラブ活動ですが、バスケットボール選抜チームのマネージャーをやりました。練習や試合前の準備などは単調でしたが、週末の試合は楽しみでした。homeとaway(遠征)を交互に行うのですが、遠征先に向かう選手バスの中の雰囲気は、今でも忘れません。選手同士で「Hey ! We are gonna win, men ! We are gonna bust them ! Kick their ass tonight !」などと口々に叫びハグしたり、ハンズタッチしたり、レース前の競走馬のような興奮状態でした。勝利した帰りのバスは「We are number one !」の大合唱で大騒ぎ、ただ負けた時の帰りのバスは一変しました。シーンと静まり返り、時おり聞こえるのはcussingだけ。笑ったりする人もいません。勝ち負けにこだわるアメリカ人気質というものを肌で感じました。
 帰国後、毎年クリスマスにチョコやクッキーの贈り物と共に近況報告のやり取りをホストペアレンツと40年近く続けました。高齢のホストファーザーが2年前に亡くなり、マザーは施設に入りコミュニケーションは難しくなりましたが、感謝の気持ちは永遠です。アメリカの流儀を丁寧に教えてくれたり、間違った言葉づかいを厳しく正したりする端々に、国を超えた親の愛情をずっと感じさせてくれました
 このように留学という人生のビッグイベントによって開眼させられたことが多く良いことずくめのようですが、悪い点もありました。自分はアメリカで暮らしてきたんだ、あなたの知らない他の世界を見てきたんだと上から目線で決めつけがちになったことです。
 帰国後はご多分に漏れず、「アメリカではこうだった」を連発するアメリカかぶれ病に陥ったりしました。考え方だけでなく容姿もアメリカナイズが一番だと思っていた時期がありました。自分の中の「外国」は唯一アメリカ、という小さい世界にいましたが、転機は、大学生時代のアルバイトで訪れました。ネパールのチベット人村のドキュメンタリー撮影班に付いていって電気、ガス、水道が無いところで4か月暮らしたり、大都会ロンドンの旅行代理店で働いたりして、世界はアメリカだけではないと、まさに第2の開眼を経験しました。
 卒業後テレビ局に就職して、バンコク支局に4年、ソウル支局に5年赴任するなどして、33か国を訪れました。こうした海外勤務を導き精神的に豊かと感じられるほどの人生を送ってこれたのは、間違いなく高校生留学のおかげだと留学から40年を経て感じます。
 私の持論は、「人生は開眼し発見することだ」です。開眼させられるという受動的行為の後、自らで考え自分の中の知らない部分を発見するということです。新しい考えや新しい知識を取り入れたらそれ以上の自分だけのオリジナリティーが見つからないのか探し続けること。刺激の少ない日常では開眼させられることが難しい中、留学は開眼だらけにしてくれるまたとないチャンスになると思います。
 年とともに感受性、思考力、行動力が衰えてきたと感じています。留学について興味を持った方々に「今でしょ!(Now is the time)」と強く言いたいです。

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