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2018年11月号より

1994年度生 桑田 宝子

私立昭和女子大学付属高等学校よりオハイオ州に留学
津田塾大学英文学科卒業後、渡仏
パリ大学、フィレンツェ美術修復学院、フィレンツェ国立中央図書館を経て独立
2010年よりATELIERGK FIRENZEを経営
日本のテレビ出演にNHK「SONGS」、BS朝日「ヨーロッパいちばん旅行記」
2018年スイスのミケランジェロ財団より「欧州で最も優れた芸術家」の1社に選ばれ、ヴェネツィアに招かれる

フィレンツェにて

 美術品修復家になると心に決めてパリからフィレンツェに移り 16 年が経過した。伊語の基礎は独 学で習得して渡伊したものの、同級生は全員イタリア人という環境で、最初の数か月はテストで ひどい点数をとり、徹夜しても予習が追い付かなかった。その度に、米国留学初めの頃の自分と 重ね合わせ、長いトンネルにも必ず出口があると、自分を励ましていた。
 その 3 年後に修復学校を卒業し、フィレンツェ国立中央図書館修復部門で研修し、修復工房に就 職し、労働許可証を取得し、2010 年に独立して美術製本と美術品修復の工房を創業、現在に至る。 人生山あり谷あり、イタリアの荒波にもまれながら、家族と周囲の多くの人々に支えられて、何 とかやってこられた。
 活動内容を大まかに説明すると、修復と特注品・作家作品の制作。つまり、現在のアンティーク 品を次世代に受け継ぐ仕事と、伝統芸術を継承し未来のアンティーク品を創る仕事の両方をして いる。「イタリア」「フィレンツェ」という言葉から連想される華やかなイメージとは対照的な、 根気と集中力を要する地味な職業だ。全身全霊を注いだ仕事が、依頼者の元に渡り、大切に受け 継がれ、自分の死後まで残り得ることに、万語を費やしても表現しきれない、大きなやりがいを 感じる。
 米国留学時代を懐かしく思い返すと、私は数学、米国史、フランス語、美術が得意だった。要す るに、英語力をあまり必要としない科目ばかりではないか、と苦笑する。学校の先生方から米国 の美大進学を強く薦められたが、準備をしていなかったし、当時は漠然と日本の大学に進学し日 本で就職するものと考えていたので、米国も芸術も想定外だった。それが最終的に欧州の芸術の 世界に身を置いているのだから、人生はどうなるか分からない。
 留学から 24 年の歳月が経過し、ホストファミリーや同級生とは徐々に音信不通になてしまったが、 留学直後から変わることなく今も文通、それも E メールや SNS ではなく、書簡でやりとりをして いる人が 2 人いる。それは、美術の先生と歴史の先生。世代の隔たりがあっても「芸術」「文化」 「歴史」という関心事で通じるのだろう。
 高校時代の米国留学がその後の人生にもたらした影響について、今まで考えたことはなかったが、 巻頭言の話をいただいて、ふと立ち止まって振り返る良い機会になった。米国の田舎町とフィレ ンツェの芸術界は、かけ離れた話のようだが、様々なことが密接に繋がっている。留学を通して、 私は人間的側面で得たものが大きいと思う。
 第 1 に、世界に視野を向けるようになった。米国で暮らすことで、世界はアメリカだけではない、 言語は英語だけではない、と視野が広がった。それが、最終的に欧州を活動の拠点に選んだ私の 原点だ。西暦 2000 年に初めて欧州を列車で一人旅した時、陸続きということが歴史的、政治的、 文化的、言語的にどういう意味を持つのかを、身をもって理解した。
 第 2 に、異なる文化を理解する第一歩となった。ある時、歴史の授業で先生が「何故学校で歴史 を勉強するのか」いう質問をし、同級生たちも私も曖昧な返事しかできなかったが、すぐに理解 した。諸民族の歴史を知ることで、異文化を尊重する姿勢を養い、人類の過去の過ちから学び、平和な社会をつくるため。自分とは異なる文化的観点から、異文化を考察することもまた、米国 にいたからこそ経験できたことだろう。
 第 3 に、自分のアイデンティティを自覚するようになった。日本では意識したことがなかった。 私は人生の約半分を海外で過ごしているので、日本的価値観、アメリカ的価値観、フランス的価 値観、イタリア的価値観、イタリアでもトスカーナ的気質、更にフィレンツェ的気質、それぞれ の特長、時として短所、が混合している。それが私のアイデンティティだ。
 第 4 に、直面した問題を平和的に解決する、少なくとも努力する能力。留学当時は若気の至りで、 ホストシスターと衝突したり、今の自分ならあのような行動はとらなかっただろう、という思い 出もある。文化の違いから、自分が変わらないと状況は変わらない、という場面に多く遭遇した ことは、その後の人間形成に有益だった。
 第 5 に、信念を貫く鋼の精神。これは渡欧後、修復の世界で辛い修行時代に役立った。
 それらが伏線となって、現在の活動の基本精神につながっている。
 私は常に世界を見て仕事をする。イタリアでは深刻な不況による社会不安から、世界中から観光 客が訪れるフィレンツェであってさえ、人種差別の根強さ、合法移民への風当たりの強さ、外国 人がこの国で会社経営をする大変さを日々痛感する。心無い中傷に涙を流すこともある。苦しい 時、私は、海外から仕事を評価してくれる人たち、今まで世界で見てきた美しいものとそれらの 土地で出会った素晴らしい人たちのことを考えるようにしている。
 常に数世紀先を見て仕事をする。芸術家としての生涯を、死後数世紀先まで含めた長いスパンで 捉える。目先の利益に惑わされない。今すぐ結果は出ない、だからこそ、妥協しない。芸術とは そういうものだ。
 良い出会いを大切にする。SNS の普及で世界規模の情報交換が容易になった。量より質を重視する ため、広く浅いつきあいはせず、慎重に厳選する。年齢、性別、国籍、文化、職業の違いを超えて、良い仕事をしようと頑張っている人たちの輪が世界中に広がる。その波紋に自分も加わったり、時には自分が小さな波紋をつくったりできることを、幸運に思う。
 自分の評価は人がするもの。尊敬する人たちから受ける建設的な批判を常に謙虚に受け止めて、 自己の向上に役立てる。それ以外の根拠のない中傷は無視して、集中力を失わない。
 感謝の気持ちを忘れない。どんなに優れた芸術も、注文に恵まれなければ後世に残らない。それ はルネサンスの昔から変わらない。顧客あっての芸術家、という自分の立場を忘れない。
 人に親切にすると自分も親切にされる。他を敬う人は他からも尊敬される。そうして物事が円滑 にまわる。
 統一性はないが、留学から学んだ教訓はそれ以降の経験と共に、心の中で脈々と流れている。
 最後に、約四半世紀が経過した今も鮮明に覚えている言葉を紹介する。留学に出発する数か月前 の春休みに行われたIF研修で、ある先輩が私たち94年度生全員に向けて応援の言葉として、黒板に書かれたフレーズだ。
 “Happiness and success in our life do not depend on our circumstances but on our efforts.”
 解釈によって若干共通することを古代ローマ人が言っている。ラテン語の諺だ。
 “Faber est suae quisque fortunae.”(人間は自分の運命の創造者である。)
 目標に向かって謙虚に前向きに努力すれば、必ず理解者は現れ、何かしら結果が伴う。例え思い 通りの結果が得られなくても、目標に到達するためにした努力とそれに費やした時間は決して無 駄ではない。人生に無駄なことなど何もない。人生は不条理なことが多いようで、意外と万人に平等なのかも知れない。実際に、自分は今ここにいる、と高台にあるサン・ミニアート・アル・ モンテ教会から、天に向かって荘厳に佇む花の大聖堂を中心に碁盤状に広がるフィレンツェの美しい街並みを眼下に一望しながら、想う。
 2018 年 9 月 桑田宝子

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