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2015年5月号より

1991年度生 安部井 寛

都立鷺宮高校からWashington州に留学
Washington State University Kinesiology学部卒業
(株)阪神タイガース 通訳、(株)ヤクルト球団 コンディショニングコーチ
(株)シカゴ・ホワイトソックス 通訳
現在(株)楽天野球団 執行役員/チーム統括本部本部長

一生忘れられない経験

私は小学生の頃からプロ野球選手になるのが夢でした。中学に進学し、野球部で1年からレギュラーを取ろうと練習に励んでいた時に友達と一緒に、ケビン・コスナー主演の「Field of Dreams」という映画を見に行きました。その映画を見て感動し、アメリカの文化や野球を経験したいという強い気持ちになったことを今でも覚えております。あの綺麗なフィールドで一度プレーしてみたい!衛星放送でもメジャーリーグが中継されるようになり、私の中で、純粋にアメリカで野球をやってみたいという願望が強くなりました。
 ただし、私は学校で英語が得意だった訳でもなく、英語の成績も留学したいと周囲に言えるほど良いものではありませんでした。アメリカに行きたいという強い願望が日に日に強くなり、どうすれば留学できるのかを調べてIFを見つけました。その後、IFの英語試験を受けました。何点取れたか全く覚えておりませんが、とにかく合格ラインには届いていなかったことは覚えています。試験後の面接で、このままだとアメリカに行けないと思った私は当日の面接をしてくださったアメリカ人と日本人の二人の面接官の方に、「お願いだから行かせて欲しい。絶対に行きたいから合格にして頂きたい」と伝えました。その想いが通じたかどうかは分かりませんが、条件付合格という結果を頂きました。自分なりに勉強はしていましたが、渡米直後に今までにないショックを受けることになりました。
 今まで親元で不自由なく生活してきた高校生がいきなりアメリカに行き全く言葉が通じない環境に身を置くことに関して、何もリスクを感じていなかった自分は本当に若く甘かったと思います。私が留学したワシントン州のオロビル市は、アメリカとカナダの国境近くにある人口3000人の小さい町でした。ホストファミリー、学校の先生、クラスメートと全くコミュニケーションが取れない日々に、とてつもないショックを味わいました。自分の思いや意見を周囲に伝えられない事の辛さよりも、周りの人が何を言っているか全く理解できていない状況にかなりのショックを受けました。正直、最初の3ヶ月はホームシックの毎日でした。友達も出来ない。話も出来ない。勢いよく渡米してきたのに、弱気になっている自分を本当に情けなく思いました。
 ただそんな自分を家族のように助けてくれたのがホストファミリーでした。いつも私の下手な英語を聞いてくれて、理解しようとしてくれていることが本当に有難かったことを覚えています。私を家族の一員として迎えてくれたホストファミリーがいなければ、私は1年間の留学生活を全うすることは間違いなく出来なかったと思います。いつも彼らは私に分かりやすいようにゆっくり話をしてくれながら、私が発する英語をじっくり聞いてくれました。このままだとホストファミリーに申し訳ないと思い、毎日寝る前にその日に会話したことをノートに書き出して、声に出しながら練習したことを覚えております。
 またスポーツにも大きく助けられました。秋はクロスカントリー、冬はバスケットボール、春は野球とクラブ活動に積極的に参加しました。アメリカの部活動はシーズン毎に違うスポーツを経験することが出来て、多くのチームメートと交流することが出来ました。特に野球では、「Field of Dreams」で見たような、天然芝の綺麗な球場で試合をした時は本当に感動したことを覚えています。特に野球は他校への遠征も多く、片道4時間のバス移動も経験することが出来ました。バスの中でチームメートと野球の話をしている時に、会話の内容を理解出来ている自分を嬉しく思いました。
 留学期間を終えて、帰国する当日に空港までホストファミリーや友人が空港まで来てくれました。家族の一員として接してくれたホストファミリーがハグしてくれた時は涙が止まりませんでした。自分の子供のように愛して助けてくれたと感じましたし、私も彼らを自分の親のように思っていたことが通じたような気がしました。IF留学を経て英会話も出来るようになりましたが、私が強く学んだことは、人は一人では生きていけないということだったと思います。苦しい時、悲しい時に必ず周りの人が助けてくれたから、留学期間を全う出来たと思います。留学からもう一つ学んだ事は、自分の両親への感謝の気持ちです。ホストファミリーが私を助けてくれたように、自分の両親は私が生まれた時から助けてくれていることを思うようになりました。私にとってIF高校留学は英語だけではなく、視野を広げてくれる経験を与えて頂きました。
 現在、私は宮城県仙台市に住み、東北楽天ゴールデンイーグルスでフロントの仕事をしております。監督、コーチ、選手、球団職員、そして東北のファンと共に優勝目指して仕事をしております。選手編成、ドラフト会議、選手育成などを経て、ファンの皆さまに愛されるチーム作りをすることは、本当にやりがいのあることだと日々感じて仕事をしています。2011年には東日本大震災が起き、宮城県を含めた東北地方では多くの犠牲者が出ました。2013年にはチームが日本一になり、多くのファンが涙しながら喜んで頂いている姿を見て私自身も涙しました。何回でも日本一になりたい!と思える瞬間でした。多くの人と喜びを分かち合える仕事をさせて頂いていることに有難いと思う日々です。
 IF留学経験は私にとって大きな財産です。あの日、全く人とコミュニケーションがとれなった日々に比べて、辛いことは中々ありません。またそれを周囲の人に助けられながら乗り越えることができたという自信にもなりました。これからも人生を歩んでいく中で、数多くの試練が待っていると思いますが、高校留学生活の序盤は間違いなく自分にとって大きな試練でした。その最初の試練から逃げずに、多大な協力を得ながら留学生活を全うできたことは今の私の仕事にも活きています。どんな試練でも必ず解決策があり、好転させる方法があるはずだという思いを持って生きていくことが出来ていると思います。留学すれば英語が話せるようになると留学前は純粋に思っておりましたが、英語よりもスケールの大きいことを学ばせて頂きました。留学中の皆さん、そしてこれから留学したいと考えている皆さんにとって、IF留学は皆さんの人生にとって貴重な宝物になると確信しております。

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