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2019年11月号より

1989年度生 谷地舘 望

都立立川高校から ワイオミング州に留学
一橋大学経済学部卒業
外資系コンサルティングファームを経て、(株)サイバーエージェント常勤監査役として東証マザーズ上場
その後独立し、au携帯向け無料待受サイトなどを運営する会社を企業
3年後に計17社からM&Aの打診を受け同社を売却
(株)セレス常勤監査役として2014年東証マザーズ上場
現在、フリーのスタートアップアドバイザーをメインに活動中

英語力以外に得たもの

 私にとっての留学は、今振り返ってみても人生で一番大きな出来事で、忘れられない大切な経験です。このIFでの留学が私の人生に「幅」をもたらしてくれたのです。
 高校までの私はいわゆる「まじめな生徒」という感じで、自分の意思も強くは無く、誰かが敷いたレールの上をコツコツと進んで行くタイプでした。あのまま大学に進学していたら私の人生は全く違うものになっていたでしょう。おそらく安定しているといわれる企業に就職して、会社のために残業も厭わずまじめに働いていたのではないかと思うのです。 そんな自分がひょんなことからアメリカの公立高校へ留学し、1年間の現地生活を経験することによって、「人生は一つではない。十人十色で良いのだ」と理解できるようになったのです。
 外国にある他人の家で1年間暮らすこと。これは強烈な経験でした。ただでさえ文化・風習の異なる地で毎日驚くことがたくさんありますが、それが学校でも起こり、一緒に暮らす家族の中でも起こるのです。家庭では料理に時間をかけない、シャワーもほぼ汗を流すだけ、よその人が冷蔵庫を勝手に開けてジュースを飲むとか。学校では、時間割が分刻みで移動が大変だったり、テキストが辞書みたいだったり、授業中にも生徒が踏ん反り返って足を組んで聞いてもOKだったり、でもガムを噛んでいると怒られたり。日本ではダメなことがダメでは無い世界もあるのだと気づかされました。
 その中で一番衝撃を受けたのは、高校卒業後の進路に関しての考え方でした。私はシニアだったのでクラスメイトも何となく進路は決まりかけている感じかと思っていたのですが、たどたどしい英語で問いかけると「軍隊に入ってお金を貯めてから大学に行く」「家の農業を手伝う」「奨学金をもらって○○大学でアメフトをする」など具体的な進路を答えてくれました。そして日本で一般的な親のお金で大学に行かせてもらうという回答はゼロでした。私はとてもショックを受けました。ここでは自分の走るレールを自分で敷いているのです。
 日本では自律という言葉が重要視されそれはそれで素晴らしいのですが、留学中の体験はそれとは異なる「自立」に触れる機会が多かったと思います。しかし私は自分の将来を考えようにも、あまりやりたいことも無く自分にも自信がありませんでした。誰が敷いたレールの上を走るほうが楽だと考えていました。
 ところがこの留学は私のそんな部分にもライトを当ててくれました。そう、やたらと褒められたり、表彰されたりするのです。私は10歳の頃から吹奏楽をやっていてトロンボーンを吹いていました。小学校中学校は割と練習が厳しいところでしたので、怒られたことしか記憶にありません。ところがワイオミングではオーディションに合格して州選抜オーケストラに入り、大学での奨学金オファーまでもらいました。また数学コンテストでも個人、チームで表彰台を獲得、クラスメイトに強引に誘われて始めたレスリングや陸上でもメダルをもらいました。もう一生分の報酬をもらったかのようで、変な自信がみなぎってきました。今まではチャレンジしていなかっただけで、チャレンジすれば道は拓けるのでは?と考えられるようになったのです。褒められるチャンスが多いことは留学の大きなメリットでした。
 さて、そのような留学生活を終え帰国した私は、まず大学に何をしに行くのかがある程度明確に考えられるようになっていました。そして受験の目的がはっきりしたことで勉強もするようになり、同時に親の援助を最小限にすることを条件にするようになります。自立の観点から自分で考えた結果、予備校には通わずに日中アルバイトをして稼いだお金で受験しました。結局勉強が間に合わず1年目の受験は失敗しましたが、自分では納得の上での行動だったので全く後悔がありません。そして浪人中も同じようにアルバイトをしながら勉強して、2年目は受験したところは全て合格という結果もついてきたのです。
 大学ではゲーム理論を学びました。当時は新しい分野で皆競って研究と応用を進めていた理論でした。正直私には難しすぎたのですが、そういうところにチャレンジしたい気持ちが強くゼミでは仲間と熱心に研究に取り組みました。道が拓けたかは分かりませんでしたが、留学経験のおかげで長い英語の論文や分厚いテキストを読むことも全く苦にならず、いろいろな知識を吸収することができました。
 大学卒業後は外資系戦略コンサルに就職するのですが、私のゼミの進路は都市銀行が最も多く、外資系コンサルはゼミ史上初の進路でした。これも自分で決めたことだったのですが、後で聞いたところでは、ゼミの教授は私のことが心配でしょうがなかったようです。
 3年ほどそのコンサルで働くのですが、経験を積めば積むほどコンサル的な立場ではなく、自ら働きたいという希望が強くなってきました。そんな時にインターネットベンチャーから誘いを受けて、上場前のサイバーエージェントに転職しました。当時社員は20名ほど。大赤字が続いていて給料の保証もない。私にとっては一大チャレンジでした。でもインターネット広告の世界を開拓するプロセスは本当に楽しみに溢れていました。IFでの留学経験が無ければ絶対に無かった選択肢を選んだと思います。人生に「幅」ができました。
 その後も自分で起業したり、別のベンチャーを立ち上げたりと自由にやってきていますが、正直失敗に終わるプロジェクトの方が圧倒的に多いのも事実です。でもそれは自分で決めたこと。誰かから押し付けられたものではないので、失敗も自分で消化するしかありません。昔の自分だったら一度失敗したら終わりで諦めていたでしょう。でも一つだめでもまた次があり、日本でダメでもアメリカがあるし、他の生き方もある、とそのような「幅」を楽しめるようになりました。
 最近、小学生の長女から「お父さんの仕事は何なの?」と良く聞かれます。いまだにどう答えて良いのかわかりません。留学して無ければ、「○○という会社に勤めているんだよ」という答えだったはずです。人生十人十色、私みたいな人間がいてもいいかなと思っています。皆さんもこの留学というチャンスを最大限に活かしてみて下さいね。
 最後に私に留学の機会を与えてくれたIFの先輩、事務局関係の方々、ホストファミリー、日本及び現地の学校の先生方、そして留学をサポートして見守ってくれた私の家族に改めて感謝したいと思います。本当にありがとうございました!

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