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2015年01月号より

2001年度生 河 野 妙 子

(私)聖園女学院より Ohio州 に留学
慶應義塾大学 環境情報学部卒業
帝京大学医学部卒業
自治医科大学附属さいたま医療センター勤務

自分を見つめる旅

 The spring has passed And the summer come again; For the silk-white robes,
 So they say, are spread to dry On the \\\"Mount of Heaven\\\'s Perfume.\\\" Empress Jito
 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
 百人一首でご存知の方もいると思いますが、持統天皇の、爽やかな夏の訪れについて歌った歌です。
私の両親が、白妙(白い洗濯物という意味)の響きの良さから、妙子という名前をつけてくれたそうなのです。おばあちゃんやお母さんが同じ名前、という人が時々いる程度で、古臭い名前だなぁと思っていて全く好きにはなれませんでした。
 IF留学で、初めて、高校の英語の授業で自己紹介をする機会をいただき、上記の歌について説明し、自分の名前が好きになりました。
 私は、2001年度生の河野妙子と申します。現在、自治医科大学附属さいたま医療センターというところで、研修医をしています。IF留学がなければ今の私は存在しないと思います。
 これから留学予定の方、そして留学中の方、そして留学するかどうか本気で悩んでいて、親をどう説得するか悩んでいるあなたへ、後押しとなれば幸いです。少々長いですがお付き合いいただければと思います。
 私が留学をしようと思ったきっかけは、ビバリーヒルズ青春白書という、アメリカのかなり普通じゃない高校生達のドラマをみて、自分もそうなりたい!と勘違いしてしまったところから始まります。
 中高一貫校でエスカレーター式に高校生になった私は、このまま敷かれたレールの上で、受験を乗り越え、大学まで行くのは嫌だと思い、親に秘密で交換留学の資料をいくつか取り寄せました。IFが一番、留学生の声を沢山載せていて、交換留学の歴史も深く、なにより、IFツアーの写真がとても楽しそうで、私も参加したいと思い、勇気を出して親に相談しました。親元離れて生活をしたこともなく、不安でいっぱいでしたが、親も応援してくれました。出発前のオリエンテーションでは、非常に丁寧に、そして厳しく、帰国したばかりの先輩方やIF事務局の方々が指導してくださり、オリエンテーションでのメモを握りしめ、成田から出発しました。
 授業でしか英語を使っていなかった私は、初め、ホストファミリーが何を言っているのか全く分かりませんでした。しかし、私の片言の英語に、しっかり耳を傾けてくれ、クリスマス頃には英語で夢を見るようになるまで上達しました。私には当時5歳のホストシスターが居て、彼女は私の英語の先生でした。発音が変だとすぐに指摘され、何度も何度も練習をさせられました!今ではその子は立派にオハイオ州立大学で学生をしています。
 アメリカの現地高校に通いましたが、日本とは異なっていて、音楽の授業では、楽器は小さい頃から同じものを練習するのでとても上手になります。部活動は、季節ごとにいくつも選ぶことができます。陸上競技部で5年間ひたすら走っていた私にはとても新鮮で、マーチングバンドでクラリネット、ソフトボール、陸上部、クロスカントリー、コーラス部を経験しました。
 外国語は英語以外にもスペイン語やフランス語、イタリア語など色々選べました。その時に“あいうえお”の発音が日本語と似ているスペイン語を選びました。英語はそうは行きませんでしたが、外国語をアメリカ人と一緒に勉強すれば、スタートラインは同じため、良い成績を残す事が出来ました。それをきっかけに、大学でもスペイン語を学ぶことになりました。
 たった一年間でしたが、日常会話は何とかできるようになり、簡単な映画も字幕なしで見られるようになりました。そして友達もたくさん出来、なにより、ホストファミリーとの繋がり、またほとんど毎月、暖かい手紙と共に日本のお菓子や食べ物を送ってくれた、親との繋がりがより深くなったと思います。日本にいる時よりも手紙を通じての気持ちのやり取りが多かったように思います。田舎の貧しい地域の小さい高校で、ビバリーヒルズ青春白書のようなキラキラした感じは全くありませんでしたが、プロムにも参加し、大満足でした。
 両親への感謝の気持ちを胸に、無事5月に帰国しました。成田では、父母を見つけるなり、まず、ハグをしました。10kg以上太り、まん丸の私を見て外国人に見えたかもしれません。IFの同期には元の学年に戻れなかった人も多かったのですが、私は高校3年生に進級することができ、留学も視野に入れて、受験勉強を始めました。将来は貿易など、国際的な仕事をしたいと思い、在学中はスペイン語、経済学を学んでいました。しかし、大学3年生の時に自宅で祖母を看取ったことをきっかけに、人の命に関わる仕事をしたいと思い直し、医師を目指して、再受験をすることになりました。
 大学卒業の年に一般受験をし、晴れて医学生となりました。医学部在学中は、ESSに所属し、外国人の医学生とディスカッションをしたり、欧米諸国の医学部の教授陣に観光案内をしたりしました。医師になってからも、英語のカンファレンスや、論文を読む機会はとても多いですが、苦手意識なくこなすことができています。
 紆余曲折を経て、ここまできましたが、突き進む原動力は、すべて、IFで経験したアメリカの1年間からきています。そこで培ったことは、英語力だけでなく、自信を持つこと、あきらめないこと、常に感謝の気持ちを忘れないこと。たった1年でしたが、本当に濃厚で充実した1年で、あの経験がなければ今の私は存在しなかったと思います。
 これからの私の夢ですが、今後産婦人科に進むに当たり、専門医をとって、母子保健分野で、国際的な医療団体で、医療活動をしたいと思っています。その時にもコミュニケーション能力を始め、英語の経験は必ず役に立ちます。
 今そこで留学するべきかどうか迷っている方がいたら、是非、勇気を出して一歩踏み出してみてください。その先には無限の可能性が広がっています。人と同じように生きなくても大丈夫です。(色々な人生がありますのでそもそも同じというのは無理ですが。)高校の友達と離れるのが悲しいと思っている方がいたら、1年離れたぐらいでは、あなたのことは忘れないし、むしろアメリカのたった1年で10年以上経た今でも親密に連絡をとっている仲の良い友達ができます。学生時代には、アメリカの病院見学をしつつ、3回里帰りをしました。大人になれば、高校時代の一年の遅れは全く関係なくなります。それ以上に、10代の多感な時期の留学には勉強だけではない大きな収穫が得られるはずです。
 今しかできないことがあります。広い世界に飛び込んできてください!

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