>> サイトマップ


2020年5月号より

2011年度生 上杉 遥子

都立国際高等学校からアメリカ・ヴァージニア州へ留学
国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科卒。
2015~2016年:カリフォルニア大学ロサンゼルス校へ留学。
児童書専門出版社勤務 入社3年目

不安のさきに、いつも

 みなさん、こんにちは。今から9年前、高校2年生のときに、アメリカ・ヴァージニア州Charlottesvilleというところに留学をしていました、2011年度生の上杉遥子と申します。
 私が留学した2011年は、東日本大震災が起こった年でした。震災を受けて、留学オリエンテーションが短くなるなど、留学の準備にも影響がでて、出発まで落ち着かない日々を過ごしていたことを思い出します。今、新型コロナウイルスの流行が全世界を大混乱に陥れているこのとき、留学を志しているみなさん、留学中のみなさんも、きっと同じように不安なことと思います。そんなみなさんに、少しでも応援の気持ちを届けられればと思い、今回、筆をとらせていただきました。つたない経験談にはなりますが、いくらかでも、みなさんの留学生活の力になれることがあれば幸いです。
 ***
 私は幼いころから、夢見がちな子どもだった。本を読んだり、物語をつくったり、空想の世界で遊ぶことが大好きだった。
 小学校1年生のときに、J・Kローリングの「ハリー・ポッター」シリーズと出会ってからは、当時多くの子どもがそうであったように、ホグワーツへの入学許可書を自分のところへ運んでくるフクロウ便を待ちわび、11歳の誕生日を過ぎたころには、いつか自分もこんな物語をつくれる大人になりたい、と願うようになった。さらに、映画版で主演をつとめた俳優のダニエル・ラドクリフにも熱をあげた私の胸の内では、おのずと海外への憧れが膨らみ、将来はイギリスで英文学を勉強して作家になろう、(そしてロンドンをぶらついてダニエル・ラドクリフとめぐりあおう、)という、はじめての夢ができあがった。
 小学校6年生のとき、転機が訪れた。世界中のティーンエイジャーを虜にしたアメリカの青春映画「ハイスクール・ミュージカル」との出会いである。ここでも主演俳優ザック・エフロンの演技に感銘を受けた私は、将来の夢を作家から役者に切り替え、あっさりと進路をアメリカに変更した。(ハリウッドなら、ダニエル・ラドクリフとの遭遇確率も高まるだろうと思ったことも理由のひとつなので、これは決して、浮気などではない。)こうして私は、アメリカで演劇と映画を学ぶという夢を固め、ハリウッドに進出する前段階として、アメリカでの生活様式を肌で感じ、知見を広めるべく、高校留学を志したのだった。
 中学3年生の夏、突然の病が私を襲った。塾でのテスト中、突然、呼吸ができなくなった。自宅に帰ってすぐ救急車を呼んだ。受験の重圧からくる、不安障害。それが、過呼吸の発作という形で出現したようだった。常に予期不安がつきまとい、勉強、会話、外出、全てが苦痛。夢を追求する気力も体力も奪われた。
 夏から秋にかけての苦しみのあと、救いは突然にやってきた。ある人の一言が私の心に響いた。「やりたいことがあるでしょう。進もう、疲れたら休めるから。」前進は、怖くない。そう思えた瞬間、不安で凝り固まった心がすっと解けた。その日から少しずつ、私の心は回復に向かった。本や映画の心踊る物語は私に不安を忘れさせ、回復を大いに手伝ってくれた。
 高校1年生になったとき、留学のチャンスが舞い込んできた。私は迷った。過呼吸を起こしてから1年半。向こうで再発したら、立ち直れない。あの冷たい絶望は、二度と味わいたくない。そんなとき、あの言葉が蘇った。決意は固まった。後悔するなら、行ってしよう。正直、死ぬほど怖かったけれど、こうして私は、未知の世界に飛び込んだ。
 出発の日のことは忘れられない。大好きな家族、IFスタッフの方々に見送られて、出発ゲートをくぐったこと。手荷物のなかに間違えてハサミを入れていて、検査で引っかかったけど、うっすら涙をたたえている私の目をみて、若い空港のお兄さんは、そっとハサミを返してくれた。
 苦手な飛行機の中では12時間「落ちませんように。」とひたすら祈った。経由地のワシントンDCでは予定の飛行機を逃し、絶望した。ホストファミリーに電話をしなきゃと、空港中を駆けずり回り、使える電話ボックスを探していたら、見かねた警備員のお兄さんが携帯を貸してくれて、無事に電話ができた。最後の飛行機は、超ミニサイズの小型機で、改めて絶望した。病み上がりのメンタルには過酷すぎる、一生分の冒険が詰め込まれたような24時間だった。
 そんなこんなで、ようやくたどり着いたCharlottesvilleの小さな空港。温かい抱擁を持って迎え入れられたとき、私ははじめて、自分がちゃんと「息をしている」ことに気づいた。これまで感じたことのなかった感慨と安堵が体中を駆け巡り、そのときはじめて私は、不安の向こう側に広がる美しい景色を見た気がした。
 Charlottesvilleでの思い出は、書ききれないほどたくさんある。苦手な数学を教えてもらいに、毎日先生のところへ通い、仲良くなったこと。演劇のクラスを取り、同じ夢を持つ仲間たちと切磋琢磨したこと。学内ミュージカルに参加して、夜の9時までリハーサルをしたときに、舞台裏で感じた一体感。可愛がってくれた近所の人の家で、ユダヤの過ぎ越し祭(Pass Over)を一緒に祝ったこと。夏、満点の星空の下、友だちみんなと最高のキャンプファイヤーをしたこと……。夢を追い、年齢も人種も宗教も超えた、かけがえのない友情を育むことのできた1年だった。上手くいかないときも、苦しいときもあったけど、出発の日にみた景色が私を支えてくれた。日々小さな挑戦を繰り返していく中で、その時々のベストを尽くせば、不安は希望に変えられることがわかった。後悔を恐れずに挑戦する力、自分の決断を信じてベストを尽くす力。1年の留学生活は、このふたつの大切な力を私に与えてくれた。
 帰国後、経済的な理由から、日本の大学に進学する決断をしたときも、留学で得たこの力が新たな道を拓き、夢へと道をつないでくれた。大学に演劇や映画の授業はなかったが、Charlottevilleで学んで魅力を知った美術研究を中心として、演劇や映画につながる分野を積極的に学んだ結果、ついに、大学3年生のとき、それまでの学びが認められて、カリフォルニア大学ロサンゼルス校への交換留学を許されたのだ。留学先では、演劇と映画のクラスを思う存分に受講した。そして、なんと、街中でダニエル・ラドクリフと遭遇するという奇跡まで起きた。夢は、叶う。この言葉が真実だと知ったときの気持ちをうまく言葉にすることはできないが、それはまぎれもなく、21年の人生で最高に幸せな瞬間だった。
 私は今、子どもの本の出版社で働いている。2回目の留学で人生の元を取り、さて余生をどう過ごすかと立ち止まって考えたとき、子どもの空想の世界を守る大人になりたい、と思ったからだ。物語はフィクションだけど、私に夢を与え、苦しみを乗り越える力をくれた。空想は、現実の幸せをもたらしてくれた。だから私は、子どもたちに空想の力を信じてもらいたいし、空想を本気で信じている大人がいることを伝えたい。私が今こうして幸せを知り、自信満々に新たな夢を語れるのは、あの留学の日々があったからに他ならない。
 IF留学は私にとっての何かと問われたら、私はこう答えるだろう。大きな壁に立ち向かってでも、夢を追求すると決意した自分の勇気の象徴であり、不安の向こうにはいつでも希望があることの証なのだ、と。
 ***
 留学中の2019年度生、これから留学に向かう2020年度生にとっても、この言葉が真実であってほしいと願っているし、きっと真実であると思います。みなさんの留学の決断は、決して間違わない。だから、どんな状況におかれても、ぜひ自信を持って、希望をもって、留学生活を送ってください。実りの多い留学生活になることを、心からお祈りしています。
 最後に、私の夢をそばに立って支えてくれた家族と友人、IFのみなさまに、心からの謝意を表して、この巻頭言の締めくくりとさせていただきたいと思います。

△上へ戻る