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2023年11月号より

2012年度生 道佛 香奈江

私立鴎友学園女子高等学校からペンシルベニア州へ留学。
杏林大学医学部医学科卒業後、千葉県の国保旭中央病院にて初期研修を行う。研修終了後、医師3年目でNGO団体ジャパンハートに所属、現在カンボジアの病院に勤務。ジェネラリストとして小児科・内科・外科・麻酔科など幅広く従事。

当たり前が当たり前でなくなる

 2023年度生の皆さん、初めまして。ワクワクドキドキ、不安もありながら始まった留学生活も数ヶ月たち、様々な感情が込み上げる時期だと思います。
 ふと思い返すと私はできた留学生ではありませんでした。英語は好きでしたが、I Fの英語の試験は2回目でギリギリ合格。けれどそのままなんとかなるだろうと思い、留学が始まりました。しかし現実は甘くなく、私の英語は全く聞き取ってもらえない。ホストファミリーが何を言っているか分からない。せっかく言いたいことを頭の中で考えたのに、勇気がなくて声に出せない。自分自身で留学を選んだため逃げるわけにもいかず、頑張るしかないのに毎日上手くいかない。私は透明人間なのだろうか、と思いながらも誰にも辛いと言えない。3ヶ月ほど夜中ベッドで声を殺して泣いていました。当時高校1年生、私は心もまだまだ未熟でした。
 その後3-4ヶ月経ち、同じクラスやサッカー部の子と少しずつ打ち解けあえるようになり、6ヶ月目にやっと留学生活が楽しいと思えるようになりました。その頃から、私の知らない世界、アメリカの文化・歴史・生活習慣や考え方などが、面白いと思うようになりました。もちろん留学当初は異文化を受け入れるのが難しく、「日本ではありえない」「なぜこうしないのだ」と思っていました。けれど時間をかけて相手の話を聞き、1回自分の固定観念を崩し、柔軟に受け入れる。当たり前だと思っていたことは、国が違えば当たり前ではない。私は井の中の蛙であって、世界はこんなにも広く、こんなにも多様な考え方があるのだ。このように時間をかけてでも柔軟に対応できたのは、まだ高校生だったからだと思います。
 しかし帰国後、正直私の英語力は伸びていませんでした。英語に対する怖さは無くなりましたが、英語の試験はそこそこ、流暢に喋れるわけでもない。大学受験も同級生に追いつかなければならない。1年間留学をして私は何を得られたのだろう、大学生になってからもずっと自問自答をしていました。

 今、私はカンボジアで医師として働いています。私の所属しているジャパンハートは『医療の届かないところに医療を届ける』を理念に、国内の離島、海外ではカンボジア・ミャンマー・ラオスで医療活動を行っているNGO団体です。今働いているJapan Heart Children's Medical Centerでは、開院当初は成人だけを対象にしていましたが、5年前より国内初の小児固形腫瘍の診療を始め、現在では国内全土から小児固形腫瘍の患者さんが集まってきます。
 当院はほぼ無償で医療が受けられることから、あまりお金のない人が遠くから時間をかけてやってきます。乳癌も破裂しそうなぐらい大きい人、破裂してしまった人。甲状腺も見てすぐにわかる大きさの人。すでに転移のある人。ジャパンハートはある程度の手術はできます。しかし癌の場合、化学療法や放射線療法など次に必要な治療はお金がなくてたどり着けない人もいます。そしてその後、再発してしまう。  ここに来る人は約170ドルの造影CTのお金がない人が多い。ましてや約90ドルの単純CTでも無理なこともある。そして糖尿病など長期で飲まなければいけない薬も、持続して買うお金がない人。前の病院で、なんの病気と言われ、なんの薬を処方され、どんな治療を受けたかを、本人や家族がわかっていないこともあります。
 ジャパンハートでは急変時にできることは限られているため、約1時間かかるプノンペンに救急搬送をすることもありますが、その際にもお金の問題が付きまといます。本当はプノンペンに搬送しなければならないのに、お金がないからできない、だからここに居させてほしい。そんなことも多々あります。 『国が違うだけで、同じ病気でも助かる命と助からない命がある』中学生の時に国境なき医師団の本を通して知り、自分の目で見たいと思いカンボジアに来ました。けれども実際は、『国が同じでもお金があるかないかで、助かる命と助からない命がある』のが現状でした。この現状を毎日目の当たりにしながら、こんなちっぽけな私に、いったい何ができるのだろうと日々感じています。
 言語だけでなく、文化も歴史も考え方も生活習慣も違う。何を1番大事にするかも違う。だからこそ私の中での当たり前が、日本での当たり前が全く通じない。それは対患者・家族だけではなく、同僚のカンボジア人に対しても同じで、その人達と一緒に仕事をするのはとても面白いけど、とても難しい。けれどもその中に私がすんなりと入れたのは、高校時代に異文化に漬かり、関わり方を学んだからです。

 今私は胸を張って、高校留学をして良かったと言えます。英語力だけではない、異文化に溶け込み、異なる考え方の人を尊重し一緒に目標に向かう力を得ることができたのは、間違いなくあの1年間でした。  高校留学は決して華やかなものではありません。それでもきっといつか、留学して良かったと思える日が来ると思います。それが1年後か5年後か、はたまた10年後かはわかりません。けれど他の人が経験し得ないことを、今2023年度生が経験しているのは事実です。そして必ずこの経験が何かしらの形で、自分の力になっていきます。辛い・悔しい・悲しい、様々な感情を大切にしてください。
 そして私は将来産婦人科医として、自分の世代だけで終わらない、自国の人が主体となり治療や若手医療者への教育ができる環境を新興国・途上国で作るために、今後も精進していきたいと思います。

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