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2013年11月号より

1977年度生 花 島 益 代(旧姓野口)

(県)菊池高校よりOhio州Monroeに留学
Washington州Seattle University 英文学科卒業(BA)
米国Prudential証券会社を経て現在Calvin Klein社勤務

35年前のRecollection

まだドルが260-300円前後の頃、高校時代ESSに所属し英検2級も留学試験も突破して小さな田舎町の高校から、憧れの「大草原の小さな家」を夢見つつアメリカの土を踏んだ事を昨日のように覚えています。そして先日2013年8月2日にAfter 35 yearsを表題にReunion Committeeから連絡を受けて35年ぶりのOhio州のLemon Monroe High Schoolの同窓会へ行って参りました。
 1977年東京を出発した高校生はサンフランシスコに到着するとそこからホームステイ先へ1人(?)で赴きます。不安を抱きながらも道中フライトアテンダントのお姉さんと会話をしながらも無事シンシナチに到着、Mom & Dad, JulieとKarenアメリカの2人の姉妹がゲートの先で暖かく出迎えてくれました。さて英検2級もあるしNHKのラジオ英会話も勉強したし英語はNo Problem(?)のはずでしたがホームステイ先の自分の部屋に着いた途端生のMidwest訛りの英語が外国語に聞こえ、初めて親元を離れて外国で暮らすことに気づかされ、どっと涙が出てきたのを覚えています。
 ホームステイ先はArmcoという製鉄会社でMotion Pictureを作っているJohn Dadと小学校の先生のJoyce Mom、優等生でチアリーダーのJulie, お茶目なKaren、オハイオ州シンシナチから一時間ほどの奇麗な新興住宅街の白人だけの町と学校。日本語を話す相手など誰もいません。(昔はEmailがありませんし、国際電話もべらぼうに高かった時代でした)。家にはプールがあり地下には卓球台、パーテイ用のバーカウンターとPool(玉突き台)、Dishwasher に洗濯乾燥機に巨大な冷蔵庫、自動車も3台あり駐車場の開閉は遠くからリモコンでひと押しと1977年の日本から比べると驚く事ばかりでした。学校ではMasuyoの名前からSueの名前で呼ばれる事となり、HomecomingではSue Noguchiと書かれたオープンカーに乗せられドイツからの留学生、マーチングバンドや手作りのFloat、Homecoming Queenと共に手を振りながら町の中と学校を回りました。毎朝6時半に起きて自分でパンかシリアルをセットして食べ、朝からシャワーを浴びてメークしカールした髪の姉妹JulieとKarenと近くの学校まで車で通学し、夜の10時には皆寝てしまうという毎日でした。
 アメリカ留学の醍醐味は自分の力で困難を切り開いていく力が付くことです。頼れるのは自分一人なので その頼れる人を自分なりに磨こうと努力しますし一見大変なことのように思えますが、乗り越えた自分は何百倍もの力と自信が身に付きます。また先入観があったらいけません。初めて留学するという未知の世界で何の躊躇もなく、大海の海原に飛び込みましょう。夢を持ち希望を持って臨めば何らかの収穫はあります。また苦労して覚えた英語はなかなか忘れないものです。
 留学をきっかけにアメリカの大学を卒業し私の経歴はアメリカと英語にかかわる仕事を続けてきております。日本のバブル最盛期(1980年代後半)にはアメリカの証券会社の債券部門で朝6時に出社しNYの引き継ぎ後 夕方4 - 5時にロンドンに引き継ぎをするという米国債の営業とトレーダーのリエゾンとして働きました。ブッシュ大統領(パパブッシュの方です)の時代に湾岸戦争が勃発したときは目の前のマーケットの指標が早いスピードで上がったり下がったり、全部の電話に電話がかかってきてタッチホーンの点滅が一斉に明るくなりどの電話を取って良いのか分からなかったのを覚えています。
 結婚を機に退職しアメリカのMomや姉妹がそうであるように女性も一生働くことが当たり前の事に影響を受け、アメリカのアパレルブランド会社で再就職するのですが、NY本社のデザイナー達が来日したり、Eventのモデルのオーデションの時には私の肩の高さまで足の長さがあるような外国の美男・美女のモデルさんがオフィスを埋め尽くしたりします。東京のEventの時にはもちろん日本の有名なセレブリティやモデルさんが名を連ねます。デザイナーの哲学を通して世の中の皆様の生活を楽しく演出しています。お洋服に興味があれば楽しい職場かもしれません。
 さて先日同窓会に行ってきたのですが話題は30年連れ添った旦那さんから捨てられたのよとか2回も離婚したとか、さすが自由の国アメリカと思いつつ笑い飛ばしていました。そして911後のアメリカは良きアメリカの時代から少し変わったような気がします。それとも大人になったからでしょうか。私の滞在したOhioも保守派が多数で絶対テロには屈しないと思う人たちが多く博愛精神のはずのキリスト教が愛国主義の軍事を崇拝するキリスト教になり、アメリカ国土を脅かすものは容赦しない、変な人も多いので自分の身を守るためには銃も仕方ないと思う人も多いのです。(銃規制はオバマ大統領でさえも規制できませんでした)日本の国土のほとんどが戦場になりたくさんの死者を出した日本人として伝えることができるのは、このような悲惨な事は2度としてはいけないことと戦争は無意味だということです。生憎戦争をした国はアメリカでしたが、911の後アメリカも和解がなければいつもテロに怯えなければいけません。
 成功しても分かちあえることが無ければ意味がないと教えてくれたDadは2度ほど大病にかかり体調が思わしくないとか。もう81歳。そして皮肉なことにDadが依然働いていたArmco Steelは日本の製鉄会社から買収されAK Steelと名前を変えていました。
 最後に皆さん、自分の力を信じて少しもがいてみてください。帰国の時にはたくましくなった自分を発見できるはずです。またアメリカの良いところを学び日本に欠けているところを見つけて将来の日本に役立ててください。Good Luck All !

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