2021年6月号より
2012年度生 稲垣 京子
都立北園高校からニューヨーク州に留学
東京農業大学大学院農学研究科 博士後期課程
「気づき」
ちょうど留学を思い出していたところ、事務局長から巻頭言の執筆依頼をいただき驚いた。私の平凡な留学経験が、今まさに留学中・これから留学する皆さんに役立つかはわからない。しかし、少しだけこの場を借りて当時を振り返り、今も留学から「気づき」を得られていることについてお伝えしたいと思う。
私の留学は、ダラス国際空港を出発した時から始まった。ステイ先まで2回の乗り継ぎがあり、1回目の乗り換えでゲート変更、2回目の乗り換えは荷物の遅延でギリギリ搭乗、不安になる暇もなかった。ホストファミリーに出会えた瞬間の安心感はありありと覚えている。ステイ先に向かう車の後部座席で食べた深夜のチーズバーガーセットは、今までで一番美味しいマクドナルドだった。ちなみにアメリカのチーズバーガーセットは、チーズバーガーが2つもらえたが、今もそうなのだろうか。
ステイ先はニューヨーク州のBroctonという人口1500人規模の田舎町。五大湖を挟んですぐカナダ、近所を散歩すれば野生のリス、ターキー、カーディナルに出会えるような自然豊かな場所だった。そんな街にもカントリーフェアというガソリンスタンド併設のコンビニがあり、私がArizona Green tea(緑茶)を初めて手にしたのもこの場所だった。"アメリカの緑茶は甘い" という噂の通り、緑茶とは別物の激甘ドリンクだった。しかし10ヶ月も住めば、その激甘ドリンクも青いエナジードリンクも「悪くない味」になった。
ホストファミリーは、IT会社に勤める父、医療スタッフの母、5歳の妹。日本にもよくある共働きの家庭だった。通う学校は幼稚園児から高校生までが在籍し、皆が顔見知りの関係だった。そのような強い繋がりのネットワークに入り込むのは難しかったが、部活を通して少しずつ溶け込めた気がする。
一番初めにトライした部活は、バレーボールだった。知っていたのはルールくらいで役立たずであったと思うが、一度だけチームメイトと新聞の一面を飾ったことがある。特に役に立たない私にも応援だけはできると思い、当時何を思ったかわからないが日本語で応援した。今思うとアメリカに行って英語を使わないのはどうかと思うが、それが逆に地方新聞の記者の目に止まったらしい。この取材を境に、朝学校に行くとチームメイトがハイファイブしてくれるようになった。チームメイトとして仲間に認めてもらえたこの頃から、私の英語力も少しずつ上達していったと思う。留学したら是非日本語を叫んでみてほしい。きっと皆が不思議に思って話しかけてくれるだろう。
徐々に相手とコミュニケーションが取れるようになり、ホストファミリーとの会話が弾むようになったころ。「散歩中に黒い馬車が通って行った」という私の一言から、ホストファミリーが"アーミッシュ"というドイツ系移民の暮らす村に連れて行ってくれた。アーミッシュとは、農耕や牧畜をしながら自給的な暮らしをしている人々で、電気や自動車を使わず生活しているという。「世界の最先端を行くアメリカ」という留学前のイメージを覆されたのは今でも記憶に残っている。
そんなことをきっかけに、友人たちの両親の職業をインタビューしてみた。私のホストファミリーはIT系や医療系の会社に勤務していたが、地域の人々の多くは農林業関係に従事していることがわかった。インタビューを通じて特に面白いと感じたのは、父親は一般企業や農業法人に勤務していて母親が馬のブリーダーや酪農・畜産を営んでいる家庭がちらほら見られたことである。アメリカでは、女性が経営者として土地を持ち、自分の馬や牛を育て経営を牽引していた。また、日本とは異なる法制度やジェンダー感覚にも驚いた。こうした「気づき」の積み重ねがあったから、日本の農業・農村について疑問を持ち、現在も学び続けているといっても過言ではない。
こうして回想してみると、博士課程まで来てしまったのは高校生の時に留学したからかもしれない。実は今現在もアメリカで行ったインタビューと同じように、実際に人々から話を聞いて実施するタイプの研究をしている。何もわからないままに飛び込んで行ける勇気や行動力は、IF留学に育てられたのだろう。
私の留学は、才能の開花や夢の実現など華やかな結果には繋がらなかった。英語力も帰国子女と呼ばれる人々には到底及ばないし、異文化理解もアメリカのごく一部を垣間見ただけである。しかし幸いなことに、英語力を磨かなければならないことも、文化の多様さも、アメリカに行ったから気づけたことだった。また、そういう自分の至らなさを知っていることを他者に証明する時にも、留学が役立っている。
新型コロナウイルス感染症のせいで、思うようにいかないことも多いかもしれない。しかし、自分が行動して得たストーリーは完全にオリジナルなものである。そこには、自分だけが見つけられた・見つけられる「気づき」がきっとあると思う。それは、いつ・どこで役立つかわからないが、他の人には得られない「気づき」だと思う。