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2011年11月号より

1981年度生 阿部 茂

(都)国立高校よりArizona州に留学
(私)慶応大学法学部政治学科卒業
(一般社団法人)共同通信社入社
 地方勤務、本社政治部、札幌支社編集部次長などを経て
  現在本社編集委員室編集委員

大切にしたい出会いと縁

 文章を書くのが苦手で、本を読むのが誰よりも遅い私が、なぜか新聞記者をしている。この2年ほどは編集委員として、政治や国家を論じる評論を書き、憲法からブッダ、料理づくりに至るまでいろいろな特集記事も書いてきた。分不相応な機会に恵まれてきたが、その起点はIF留学にあったと思う。  
 私が留学したのは1981年、高校2年の時だ。学校の廊下に張ってあったポスターで募集を知り、試験ではどうにか合格したものの、「あなたの英語力は合格者の中で最低だから、頑張りなさい」と言われた記憶がある。派遣された場所は、アリゾナ州の州都フェニックスから車で約1時間半の新興都市。住宅街をちょっと離れれば、周囲は荒れ地(デザート)に低木とサボテンという光景だった。中流家庭だったホストファミリーの家の庭には、水深3メートルぐらいのスイミング・プール。車庫には、水上スキーで使うエンジン出力680馬力の特注モーターボート。すべてが当時の米国社会の豊かさを体現していた。  
 私はそこで10カ月、友人に「エイブ」(ABE、アブラハム・リンカーンの略称)と呼ばれながら、冬はレスリング、春にはテニス、卒業時にはナショナル・アナー・ソサイエティという当時のIF生としては標準的な日常を送った。それはそれで印象的な日々だったが、日常を離れた旅行先での出来事で、今もはっきりと思い出す一つの場面がある。  
 ▽政治や国際社会に開眼  
 「あなたたちにとってはテロリストかもしれないが、私たちにとっては・フリーダム・ファイター・なんだ」。留学期間中の4月の1週間、私はワシントンDCで米国政治などを学ぶ「クロース・アップ」という研修ツアーに参加。別の高校から参加していた中東出身の学生が、米当局者も参加した会合で、パレスチナ解放運動について発言したのだ。  
 「英語が好き」が最大の理由でIF留学をした私が、国際社会や政治に、より目を向けるようになった大きなきっかけだった。「自分の考えを持ち、主張できなければいけない」とも痛感した。第2次大戦末期の米国の原爆投下を正当化する米国史の授業の中で、不十分ながらも反論したり、大学で政治学科を選び、国際政治を専攻したりしたのも、ワシントンで受けた思いの延長線上のことだった。  
 大学では、それまで無縁だった器械体操部にも入部。小中学生で始めるのが大半であろう体操の世界で、人並み外れて体の硬い私が無謀な挑戦を始めることができたのも、留学時代のレスリングで鍛えた体があったからだろう。大学体操競技史上、超最低記録を残したものの、2度も全日本インカレ(2部)に団体メンバーとして出場することもできた。  
 高校時代の留学経験と、器械体操という大学での体育会活動。これらが評価されたのか、国際政治の取材をしたいとして志望していた共同通信にも入社。世界を飛び回る記者にはなれなかったが、本社政治部で計約12年間、政治の動きをフォローした。  
 体育会出身の橋本龍太郎首相(当時)にはこっそりお茶をごちそうになったり、「君とはもう口を聞かない」と怒られたり。鳩山由紀夫民主党代表や山崎拓自民党幹事長(いずれも当時)らの番記者もした。座学では知り得ない「権力とは何か」を実感したり、独自ダネ記事で何度も新聞の一面トップを飾るという政治部の醍醐味も味わうこともできた。  
 ▽新たな出会いと経験  
 来年の通年企画記事のため10月、ネパールを訪れた。外務省担当以来、実に10年ぶりの海外出張だったが、ブッダの生誕地ルンビニや、ブンガマティという村にある「ヒマラヤ小学校」などを取材した。ヒマラヤ小学校は、日本人の若いボランティア鍼灸師・吉岡大祐さんが、設立に尽力し、現在もマネージャーとして運営する私立校で、貧しさやカースト差別から普通であれば学校に通えない子どもたちに、無償で教育を提供している。  
 現地では、日本国内の取材先の紹介で、ユニセフ元事務局長のゴータムさんら印象深い多くの人たちに会えたが、そもそも出張することになったのも、留学中に知り合ったアリゾナ州立大教授(当時)の日本人学者と、三十年ぶりに再会し、彼や吉岡さんのネパール支援の活動を知ったのがきっかけだった。  
 こうした経験から思うのは、IF留学に始まった一連の出会いや経験が、新たな出会いや経験、新たな展開につながってきたということだ。縁やつながりに支えられ、今の自分がいるのだということも実感する。そして、時には失敗や無駄だと思っていたことが、実は後になって大きな力になったりもした。  
 今、米国社会は、中間層の没落や格差拡大など、私たちの時代にはなかった数多くの問題も抱えているが、キング牧師の有名な演説にある「I have a dream that one day…」ではないが、大きな夢や志を抱き、チャレンジしてもらいたいと思う。 勉強、運動、人との出会い、さまざまな可能性が待っているだろう。  
 留学する直前の30年前、私は交換留学を経験した大学生に「転んでもただでは起きるな。とにかく貪欲に」と言われた。助言をする立場になっても大層なことは言えないので、ここ2年ほど自分が心に留めてきた四字熟語を最後にご紹介したい。誰もなし得なかったことを初めて成し遂げるという意味の「破天荒解」、100回失敗してもあきらめないとの「百折不撓」、たゆまず努力するとの「自彊不息」だ。ただ、頑張りすぎると、途中で息切れするので「テイク・イット・イージー」も付け加えておきたい。   鼻の下にチョビ髭を生やし、いつも陽気に校庭を闊歩していたメキシコ系米国人の友人、ジェシーの声と姿が、30年前と変わらぬ様子で今、ふっと思い出された。   
 「Take it easy, Abe」  
 「Hey, Abe, what's going on ?」  
 音信も途絶えて既に久しいが、今ごろ、どこでどうしているだろうか。

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