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2013年5月号より

1986年度生 五味光

South Carolina州Chesterfieldに留学
早稲田大学教育学部英語英文学科卒業
 (私)専修大学松戸中学校 教頭代理・英語科教諭

「未来の留学生」たちへ

 先日、IFのオリエンテーションで「先輩からのメッセージ」という形で、今夏留学をされる約50名の若者の前で話をさせて頂く機会を事務局から頂戴しました。私を見つめる目はどれも力強く、キラキラしていて、こちらもすぐに緊張を忘れて話に没頭することができました。私自身アメリカに降り立ったあの日からもう四半世紀以上の月日が経っているにも関わらず、いつの時代も若者は未来に向かって突き進むときが一番輝いていると実感しながら話を終えました。
 今から遡ること27年前の1985年初夏。日本はこのあとに起こるバブル景気をどこか予感させるような活気で満ち溢れていました。Japan as Number Oneという本が発売されたのもその6年前のことでした。
(五味家の夕食の席で)
 「俺、アメリカに留学したいと思っているんだけど…」(本人)
 「馬鹿なこと言っていないで、さっさと夕食済ませなさい!」(母)
 思い返せば私のアメリカ高校留学はまず両親を説得することから始まりました。東京会場での選抜試験日にたまたま姉の結婚式がぶつかり、新幹線で大阪まで受験しに行ったこと。その気合いのおかげでリスニングの点数が悪かったにも関わらず、合格させて頂いたこと。当時のアメリカ国内線はまだプロペラ機だったこと(しかもLAでエンジン点検のため3時間待たされる)。一緒に行った同期の中でSouth Carolinaという南部の州にプレースメントが決まったのは私一人だけだったこと。無事にホームステイ先の家族と深夜の空港で対面し、家に向かう車中でこちらを振り返ったホストマザーに言われた"Do you want to go to McDonald's ?"という英語が速すぎて理解できなかったこと…。通い始めたハイスクールでは、廊下で行き交うアメリカ人の女の子たちに次から次へと微笑みかけられて有頂天になっていたこと…。本当に最初からハプニング続きでした。
 しかしIFでの1年間の留学生活は現在の私の職業へと至る、大きなターニング・ポイントとなりました。1年間を過ごしたChesterfieldは森と沼に囲まれた長閑な田舎町。町の人がこんな小さな町にはるばる日本から交換留学生が来たと喜んでくれ、今ではよく「あの」英語力でアメリカに行ったなと赤面するほどですが、ハイスクールでも本当に多くの先生、友人によくしてもらいました。1年を通じて様々な忘れられない思い出を残してくれたMarching Bandでの活動。今でも超高速でブラインドタッチができるのもTypingの授業のおかげです。Biologyの授業では蛙や大ミミズから始まって、子豚の解剖まで経験しました。常に大量のReading Assignmentに悩まされたEnglishとU.S. Government & Economics。文字通り、「泣きながら」英文を読みました。日本にいるときは劣等生だったのに、Algebraのクラスでは「天才が日本からやって来た!」と騒がれ、放課後、拙い英語力でクラスメートに授業内容を教え感謝されたことは何度もありました。Study Hallではいつもの決まった図書館の窓側の席で、日本にいる友達を思い浮かべながらAir Mailを書いていました。そして学年末のProm party。毎日毎日の1コマ1コマが今でも鮮明に甦ってきます。
 あれから27年。16歳だった高校2年生の私も今や43歳の中年オヤジとなりました。
 今後、この日本はどのような道を辿っていくのでしょうか。このままではかつてのローマ帝国が、スペインが、ポルトガルが、そして大英帝国がそうであったように、過去の日本の栄華が思い出せないくらい、「日本?そんな国あったっけ?そういえば極東の端っこに小さな島国があるなあ」なんて世界の人々に言われてしまう日が来てしまうのではないでしょうか。そうはさせまいと微力ながら、当時の私と同じくらいの生徒たちに向かって英語力の重要性はもとより、世界に出ていく勇気や母国を客観視できる視点、多様性を受け入れる度量、日本の良さを世界に発信していく意義などを教室で年甲斐もなく熱く伝えて奮闘している毎日です。結局のところ私が現在、教室で生徒たちに語りかけているコトバの土台となっているのは、あの1年間のIF留学を通じて私自身が見たこと・聞いたこと・経験したこと・感じたことに他ならないという思いが教員生活を続ける中で日々、強くなっています。
大学生・社会人での海外留学は、留学先で授業を選択するという日常的なことでも「これが今後、どう自分に役立つか」という気持ちを優先して考えてしまうと聞いたことがあります。中学生以上大学生未満の若者が損得勘定抜きで、何事にもぶつかっていける高校留学。一人でも多くの気概のある高校生が日本を飛び出し、かけがえのない経験を積んで帰国してもらいたいと心から願っています。

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