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2013年1月号より

1994、1995年度生 茂山恭仁子

(私)平安女学院高校より
1994年Main州に留学
1995年Wisconsin州に留学
帰国後立教大学文学部日本学科卒業
大阪大学大学院文化表現論専攻修了
現在「忠三郎狂言会事務局」を運営

「日本のこころと笑い」を伝える

 「前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」これは芭蕉が書いた『おくのほそ道』からの一文であるが、私が留学を終え、お世話になったアメリカの家族と別れる際の当時の気持ちと本当によく重なる。まだ高校生であった日本人の私を家族の一員として温かく迎え入れてくれた家族や留学する際に携わってくれたすべての人に私はこれから生きていく中で絶対に恥ずかしくない人生にしたいと心に誓った。平均寿命が約80年の人生と言われ、私の留学経験はそのうちのほんのわずか2年間ではあったが、この感謝の念はいつも心に留めている。留学当時の記憶を思い出すと美化された思い出ばかりを口にしてしまうが、よくよく思い返すと楽しいことばかりではなかった。日本で何不自由なく暮らしていた自分の甘えや未熟さに気づいた。衣食住が全く違う環境で暮らし、それに慣れるのに本当に苦労した。むしろ苦労したことの方が多かった気がするが、今その苦労した経験が私には教訓と自信となって生きている。留学当初は苦労するであろうことも知らず、何も知らなかったからこそできたことで、それよりも夢や希望や志の方が大きかった。

 苦労したことの一つであるアメリカの授業は実践的な授業が多く、生物の授業では隣町にある大学の医学部に見学に行き、解剖された人体を見る機会を得、その人体は自殺をした人だと聞かされ、命の尊さを感じた。社会科の授業では老人ホームで社会奉仕をすることや大統領選挙の際には毎日授業で選挙の様子をテレビや新聞で把握し、選挙権がない私でも家族と一緒に投票所まで行くことが課題であり、社会に出て自立するための勉強であった。英語の授業では思いがけず、日本の俳句や短歌を学び、日本語の奥深さと美しさに逆に気づかされた。これらの経験は直接ではないが、今の私に大きく影響していると思う。また、アメリカでの生活の中でアメリカ人は「愛国心」が強いことに驚いた。授業や試合が始まる前には必ずアメリカ国旗に忠誠を誓うのだが、なぜ日本人にはこの当たり前である意識が少ないのか疑問に思ったりもした。日本人は自国の文化をもっと誇りに思うべきであるし、大切にしなければならないと気づかされ、私は自分の置かれた立場を生かすべく、一から出直さないといけないという熱い思いで帰国した。

 私は現在、日本の伝統文化である「狂言」を通して国際交流に力を注ぎ、ようやく留学した経験や英語力が生かされていると感じるようになった。まず、海外で狂言公演をする為には現地の方から狂言公演の打診があった際、すべて英語で受け答えをしなければならないことから始まる。狂言公演を実現させるために狂言独特の用語が多い中、それを現地の機関の方に分かるように順をおって説明をし、実施される日程調整や、実施される季節、現地に合うような狂言の演目を決め、受け入れられる演者の人数、できる限り日本と同じ舞台環境と狂言の装束を付けるための楽屋の状況等の提案をし、舞台を創り上げていく。無論、日本語で狂言を演じるのでパンフレットや字幕を作成し、公演当日には狂言の解説、ワークショップなど現地の方との交流を増やし、狂言を理解してもらうため、より親近感を持ってもらうようにしなければならない。いくつかの海外での狂言公演を無事に盛会に終えることができ、まだまだつたない英語ではあるがその努力と狂言の中に含まれる「日本のこころと笑い」は伝わり、理解されたと手ごたえを感じている。

 以前から言われていることではあるが、基本的な英語すら話せない日本人が多すぎると痛感している。国際社会に出れば、英語を話すことは母国語を話すことと同じくらい基礎的な力である。また、英語を話せるという実力は国際社会で生きていく為にも自信につながるのである。いま、留学をするか躊躇している学生がいたら、人生の一年間だけでも海外にいてもいいと思うし、高校生であるいま、踏み出して挑戦してほしい。私は留学を経験したことで気づかされたことが多かったが、現代の高校生をはじめ若い世代には、ネット社会や自分の周りの極めて狭い環境だけで満足するのではなく、自国の素晴らしい文化に目を向け、自分に自信と誇りを持ち、留学や社会奉仕をするなど積極的に外に出て、広い視野でもっともっと実際に沢山のことを経験してほしいと強く願う。

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