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2018年08月号より

1978年度生 松本 豊彦

東京都立大学附属高校よりミズーリ州に留学
ノースウェストミズーリ大学卒業
ミズーリ大学歯学部卒業
ワシントン大学附属病院の病院歯学修了
ワシントン大学歯学部大学院歯周病教室修了
ワシントン大学歯学部歯周病教室附属教授
歯周病専門歯科医師として開業

努力すればできる!

 アメリカに来てからあっという間に 40 年が過ぎてしまいました。現在の自分があるの は、International Fellowship のおがげであるといっても過言ではありません。
 私は子供の頃から、将来は日本のいい大学を卒業して、いい企業に入ろうということを考えていました。医学や歯学部にも興味がありましたが、受験をして日本の医学部や歯学部に入るのは能力的も金額的にも無理でした。特に、アメリカに留学をするなんて、性格のおとなしい自分は、考えてもいませんでしたし、語学力的にも不可能だと思っていました。
 高校三年生の時に、小さい出来事がありました。もとのクラスメートの女の子が交換留学でアメリカのアイオワ州から帰ってきました。おとなしい女の子だったのが、アメリカから帰ってきて、性格がすごく明るくなり魅力的な女性に変わっていたのです。アメリカでの生活の話などを聞いているうちに彼女のことが好きになりましたが、見事に失恋。その子を見返すために、自分もアメリカに行ってやるぞと決心したわけです。すごく純粋でしたね。たまたまその時に I.F.が、交換留学生を募集していたので応募したのです。受かって、ミズーリ州に行くことになりました。
 その時にもうひとつの小さい出会いがありました。その方は父親の友人で、東京のデンマーク大使館で働いている日本人でした。彼はシアトルのワシントン大学の卒業生です。留学時代の苦労話や楽しかったことなどいろいろはなしてくれました。彼のアドバイスで今でも心に残っているのは、英語の苦労があるだろうけどやればできる、頑張れば自分の目標を達成できる、アメリカはそういう国なんだ。人生一つだけだよ、日本にいるよりも海外に出た方が面白いし、やりがいあるよ。
 その当時は私はある国立大学に受かっていました。交換留学から帰ってきたらその大学にいく予定でした。でも自分がやりたい分野ではありませんでした。彼の励ましの言葉や父親のサポートもあったのでアメリカでドクターを目指してみようと決心しました。
 プランとしては交換留学中にアメリカの大学についていけるだけの英語力をつけ、大学では、医学部や歯学部に入れるだけのいい成績を取ってキープするために努力することでした。アメリカでは普通 4 年制の大学を卒業してから医学部や歯学部に入ります。ですから大学時代の成績がすごく重要です。
 近所のおとなたちは、そんなことは無理だよ、全部講義は英語なんでしょう、大丈夫かね。特に医歯学の専門的な英語なんて難しすぎるんじゃないの、と否定的で、応援してくれる人はいませんでした。でも私は、時間をかけて一歩一歩努力すれば何とかなると信じていました。
 日本の高校を卒業後、もう一回ミズーリ州の高校生としてアメリカの生活が始まりました。ホームシックになったのははじめの二日間だけでした。学校が始まると勉強が忙しくてホームシックになっている暇がありません。得意だっだと思っていた英語がまったくの役立たずで、毎晩2時頃まで起きて辞書を引きながら勉強しました。教科書を読んでいても90%は、わからない単語です。アメリカ人の英語も40%くらいしか聞き取れません。特にミズーリの英語はアクセントがあるので大変。でも少しずつですが英語にも慣れてきていい成績も取れました。勉強のほかにも家庭科のクラスや隣町の学校に招待されて日本の文化を紹介するためのスピーチをやったりとか、性格のおとなしい自分には苦痛でしたが、頑張ってやりました。
 アメリカの高校生活は楽しかったです。びっくりしたこともいくつかありました。アメリカの高校では、勉強も大切ですが、リーダーシップをもって他の人を助けてあげることが非常に重要視されていました。それにアートや音楽、スポーツなどにもみんな一生懸命参加していましたので、受験校に行っていた私のとっては、非常に新鮮に思われました。また、自分よりも年下の生徒たちが車を運転して登校してくるのを見てびっくりしました。そしてその車の後ろに、鉄砲を積んでいる子もいて、ショックでしたね。日本では考えられないです。また、高校一年生になると親からデートをしていいという許可が出るので(今はどうなのかわかりませんが)、ほとんどの生徒さんがボーイフレンド、ガールフレンドがいましたね。
 その後ノースウェストミズーリ大学に入学しました。英語は少しは上達しましたが、勉強ももっと大変になりました。相変わらず夜遅くまで勉強しました。解剖学はラテン語の単語も入って来るので大変。生理学の先生はすごく厳しくて、毎回テストがあり、すこしでも答えのニュアンスが違うと零点にされてしまいます。それを解決するために、講義を毎回録音して、後でノートに全部書き写します。そしてそれを丸暗記しました。週三回それをやるんですよ。大変です。でも、そのおかげで毎回いい点が取れたので、期末試験は受けなくてもいいよと先生から言われました。おかげで大学をいい成績で卒業出来ました。歯学部や大学院にも行けることができて、若い頃の目標を達成できました。これもすべて、International Fellowshipのおかげでアメリカに来るチャンスができたからです。
 アメリカに住んでいることによって、日本では得られない経験をできると思います。英語を通じて、いろいろな人種や文化を持っている人たちと知り合うことができます。文化の違いで摩擦も経験するかもしれません。それを通じて自分の視野がもっと広がります。ちなみに私の妻はスコットランド系アメリカ人で弁護士であり、ブラジリアン柔術の選手です。非常にユニークな人と結婚しました。
 私自身は、大学生の時、夏休みを利用して、デンバーに行き、極真空手の元全日本チャ ンピオンの道場で内弟子のような形で三ヶ月鍛えてもらったりとか、シアトルに来てから K-1 の選手や極真空手の有名な選手とスパーリングしたり、今もアメリカの総合格闘技である UFC のチャンピオンと練習をさせていただいています。日本にすんでいたら、このような経験はできません。
 この人生、一回しかありません。世界に出て少し変わった人生を送ってもいいのではな いですか?必ず自分の人間としての成長につながるはずです。頑張って下さい。

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