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2016年11月号より

1974年度生 木 村 賜 代(IF第一期生)

(私)女子学院高等学校からニューヨーク州に留学
上智大学外国語学部英語学科卒業
ソニー株式会社に勤務後、現在翻訳会社に勤務

Don\\\'t worry. Things will work out.

2016年7月14日、成田空港は雨。雷の音が聞こえていました。「でも、まあ、雲の上はいつでも晴れだから、遅れたりしないわよね。」という私の楽観的な思いを裏切るように、滑走路の入り口でしばし待機することになったとの機内アナウンスが流れて来ました。結局離陸したのは予定より2時間近く後のことでした。
 「ボストンでの乗り換え時間、たった2時間しかないのに。 また乗り遅れかぁ。こんなこと一体これで何回目かしら。」諦め顔で窓の外を眺めながら、私は42年前のことを思い出していました。
 IFの留学生として日本を離れたのは残暑厳しい9月1日。羽田空港には家族や担任の先生、大勢のクラスメイトが送りに来てくれました。それまで家族のもとを離れたことがなく、飛行機に乗るのも初体験でしたから、とても心細く感じていましたが、一緒に渡米する一期生が数十名いてくれたのがとても心強かったのをよく覚えています。
 最初に到着したカナダのバンクーバー空港にはIFの創始者Mrs. Brownが迎えに来てくださっており、全員で一泊した後サンフランシスコ経由でそれぞれの滞在先に向かう予定になっていました。
 私も数人の仲間と一緒にシカゴまで行き、そこからバッファローに向かうことになっており、少し緊張しながらも、期待に胸をふくらませていました。バッファローの空港では少し前から文通していたステイ先の家族が待っていてくれるはず。早く会いたい!でも、そんなワクワクした気持ちはシカゴの空港で粉々にされました。 サンフランシスコからの飛行機が予定よりかなり遅れ、一緒にバッファローに向かうHさんと私が乗る予定だった乗り継ぎ便は影も形も無かったのです。
 半泣きの私たちを救ってくれたのは、同じ一期生でインディアナに向かう予定だったKさんでした。高3で海外渡航経験もあった彼は、英語がほとんど話せない私たちの代わりに航空会社やIFへの連絡をしてくれ、おかげで私たちは翌朝無事にバッファローに到着、ホストファミリーと会うことが出来たのです。
 ステイ先のWhelan家はバッファローから車で1時間弱のAngolaという小さな町に住んでいました。クリーム色の外壁に、グリーンの屋根のかわいらしい家がエリー湖のほとりに立ち、庭からは湖まで階段が続いていました。対岸はカナダ。緯度は札幌と函館の間ぐらいでしょうか。9月初めというのに暖炉に火が灯っていました。“You must be quite tired, Tamayo. Aren\\\'t you cold? Sit close to the fire.”お母さんの言葉に促されてロッキングチェアに座った私は、やっと到着してホッとしたせいか、暖炉の火を見ながらうとうとしてしまったのでした。
 失礼しました。自己紹介を忘れていましたね。初めまして。IF一期生の木村賜代です。私の留学生活は、こんなふうに始まったんですよ。
 留学したのは、1974年。今留学中、またはこれから留学したいと考えていらっしゃる高校生の皆さんのご両親でも、まだ生まれていなかった方がいらっしゃるかもしれませんね。そんなCDも携帯電話も無い昔のできごとですが、私の記憶の中にはアメリカでの10ヶ月間のことはまるで昨日のように鮮明に残っています。思い出をひとつひとつ書き出したらきりがないので割愛しますが、毎日毎日がとても充実していました。
 10か月間の楽しい日々を過ごし、泣く泣く帰国した私は、高校を卒業し、大学に行き、電機メーカーに就職しました。そして、旅行、出張などで同様の経験をすること十数回、今では少々のことには動じなくなりました。トラブル続きの海外渡航のたびに思い出したのは、最初にお話ししたシカゴでのこと。英語もできないのになんとかなった(正確にはなんとかしてもらったのですが)のだから、今回もなんとかなるだろう、と楽観的に構えられる自分がいます。
 「どんなに困ったこともつらいことも、一生は続かない。きっとなんとかなる。」という考えが、今まで私を引っ張ってきてくれました。これは勉強、仕事すべてについて言えることだと思います。冒頭から脅かしてしまったかもしれませんが、これから留学する皆さん、困ったときもなんとかなるものです。そして、後になって振り返ってみると、そういう困ったことのほうが良い思い出になるものです。
 留学当初はホームシックになったり、英語での授業について行けなかったり、慣れない環境で体調を崩したりということもあるかもしれません。そんなときは「私はつらい、悲しい、困っている。」と発言してください。アメリカは「言った者勝ち」の国です。黙っていると気づいてくれないけれど、気持ちを言葉にして表すと、いつの間にか力になってくれる人が出てくるものです。 何かあれば手を差し伸べてくれるやさしい人がたくさんいます。10か月の留学期間中、思いっきりキラキラした時間を過ごせること、まちがいありません。
 さて、今夏の飛行機遅延の話に戻りますが、結局乗り継ぎ便に遅れたわたしは過去十数回の経験を生かし、航空会社カウンターの陽気なお姉さんに交渉してボストンのホテルを取ってもらい、広いベッドでぐっすり眠り、翌日の早朝無事バッファローに到着しました。そして、ホストファミリーとの久しぶりの再会を喜び、同窓会では旧友たちとのおしゃべりを思い切り楽しんだのでした。

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