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2020年8月号より

2008年度生 川口 理久

都立井草高等学校からアメリカ・ノースダコタ州へ留学
2010年にSeattle Central Community Collegeに入学、2012年にUniversity of Minnesota Twin Citiesへ編入。2014年に社会学の学士を取り、そのままアメリカに残り大学院へ。2019年の夏、North Carolina State Universityから社会学の博士号を取得。2019年の秋からはGeorgia州MaconにあるMercer UniversityでAssistant Professor of Sociology(社会学・犯罪学の助教授)をやっています。

不登校からIF留学、そしてアメリカの大学で教授に

 IF留学してから12年。時間が経つのは早い。久しぶりにIF日本事務局にメールしたら、巻頭言を書くことに。今回は僕の経緯を振り返ってみる。しかし、2010年に大学渡米し、10年も日本に帰っていない。日本語を使うことが全然なく、たまに日本にいる両親や妹たちにメールや電話する時も、日本語と英語がゴチャ混ぜ。なので、日本語が変なとこあったら目をつぶってください。
 僕は小学校3年くらいから中学の間不登校。いじめられたとかではなく、恥ずかしがり屋、ちょっと臆病、他のみんなと何か違う気がして周りに馴染めない、などで学校には行きたくなかった。当時は1日中ゲームしたり、音楽を聞いたり、テレビや映画を見たりしていた。そんな中、両親の影響で昔から音楽や映画は外国ものを選ぶ事が多く、アメリカや英語に憧れていた。アメリカに行ってみたい、留学したいという気持ちになり、独学で英語を勉強し始めた。が、もちろん不登校だったし成績は無いようなもの。高校は偏差値がガチ低いところに。その高校の1学期中に自分に自信がついてきた。でも、このままでは留学できないとふと気づき、ある決意を。高校をやめてもう一度高校受験し、もう少しいい高校に行き留学をしよう。翌年、都立井草高校から再出発。当時、井草は2週間交換留学があり、まずはそれに参加。シアトルに2週間行き、長期の留学をすると心に決めた。
 そして、IF留学に。高校2年生、ノースダコタ州クーパースタウン、人口が1千人ほどの自然が豊か(むしろ周りに何も無い)小さな田舎町へ。1年間の留学。不安なところはあったが、全然大丈夫。最初はそう思っていた。当然、そう簡単にはいかない。文化、風習、習慣。これらは日本とは違う。アメリカはとても広く、文化が色々分かれていたり、混ざっていたり、知らない事があり、驚いたり、大変だったこともたくさんあった。1年間で様々なことを学び、不登校時の劣等感なども少しずつ克服していった、僕にとって留学は成功。アメリカは楽しいところ。アメリカの大学に行こう。
 帰国後、両親にその気持ちを伝えた。応援すると言ってくれたが、ここからがちょっと大変だった。IF留学のおかげで、英語は問題なし、友達もいるし困った時はなんとかなる。しかし、アメリカの大学の学費はバカ高い。アメリカの友人たちは仕事をしながら大学に行くと言っていたのがほとんど。自分もそうすれば良い。が、アメリカでは学生ビザ中に働くのは基本的にダメ。恥ずかしいが、親に学費と生活費を頼るしかない。でも、家は裕福じゃないし4年間アメリカの大学はさすがに無理。そんな時に思い出したのが、留学中の英文学の先生の言葉、「目的を達成するためには目的に縛られず、自由な発想で、柔軟性を持つのも大事」。授業の時になんかの小説を読んで将来の目標を話していた時に先生が言った。一緒に思い出したのが、アメリカの友人数名が言っていた、大学高いし最初はコミュニティカレッジに行ってから大学に編入。大学、大学と考えていたけど、他にも道はある。2年間コミカレ、編入し大学2年間という費用を計算。親に話してみたら、これならまあなんとかなるかも、と。
 高校卒業後、無事に大学渡米。この頃には、将来やりたい事が決まっていた。大学の教授になろう。IF留学の時に日本のことを教えたり、ホストブラザーの宿題を手伝ったり、教えることに興味が出ていた。IF留学後も、上達した英語力のおかげで友達に英語を教える機会が増え、高校卒業後と渡米の間の数ヶ月は塾で英語の講師や英会話の家庭教師をやった。教えるのは楽しく、仕事にしたいと思った。
 なぜ大学教授なんだ?教える職業は色々ある。高校教師とか。実は、不登校時代からも、アメリカの映画とかでたまに出てきた大学の教授はかっこいいと思っていた。IF留学中に、社会見学で大学の授業を生で体験する事もあった。教授は人の前に立ち分かりやすいように知識を伝えるというだけでなく知識を深めるための研究もする。そういう難しそうなことを楽しそうに、自由にやっている。そんなイメージに憧れた。
 でも、最初から社会学教授に、ではなかった。大学渡米前は社会学の存在も知らなかった。自分の不登校の原因やIF留学時代に見たアメリカ人と日本人の心理的考え方の差に興味があり、心理学の教授になりたかった。しかし、コミカレでの最初の学期、たまたま取った社会学入門クラスで社会学に魅了される。社会の構成や文化がどのように人間の行動や考え方を影響し、また人間の行動や考え方が社会構成や文化を影響することなどを学んだ。その中で、IF留学中に体感した日本とアメリカの違いやアメリカの都会と田舎の違いが理解できるようになった。不登校時に感じていた違和感、日本の社会観に馴染めない感覚はなぜか、不登校時にタバコ吸ったり万引きをやった(僕は不登校不良だったのか?笑)のはなぜか、なども社会学的に考え、理解し始めた。心理学入門クラスも取っていたが、社会学的思考の方がしっくりした。そのまま社会学専攻に。僕が社会学を選び社会学者になったのもきっと不登校とIF留学の経験あるからだ。
 そして、日本に一度も帰ることなく、コミカレで2年、ミネソタ大学で2年、ノースカロライナ州立大学で社会学の博士号を5年。その間も色々あった。例えば、渡米してから一年ちょい経った時、両親に僕はゲイだとカミングアウトしたり。略奪強盗の被害にあい外傷性脳損傷でしばらく勉強が大変だったり。でも、IF留学を含めた様々な経験が支えてくれて、色々乗り越えることができ、今はアメリカ、ジョージア州にあるマーサー大学で社会学の教授にまでなり、メイコンというちょい田舎の町でパートナーのパトリックと暮らしている。
 今でもIF留学の経験は役立つ。例えば、うちの大学はド田舎や保守的な地域からくる生徒が多い。社会学と社会学者はどちらかというとリベラル(自由主義、革新的?)。でも保守的な生徒がどういう環境で育ったなど、IF留学時代の生活を通して理解できる。IF留学時は大統領選の真最中。小さな田舎町のクーパースタウンでは多くの住民が教会に行ったり、保守的。さらに、学校や他の場所でのオバマ対マケインの話ではとても保守的なのは肌で感じていた。そういう環境を知っていると保守的な生徒の僕とは違う立場や意見でも尊重できたりする。
 今、アメリカ社会は忙しい。コロナ問題、人種差別、人種関係、犯罪、警察の残虐行為、LGBTQ権利、セクハラ問題、二極化が広がり続ける政治、など色々。社会学者としてはアメリカはこういう問題があるから楽しくやりがいがある。カナダも似ていて興味深い。最近帰国したIF生とこれから留学のIF生たちの体験は変わりゆく社会情勢もあり僕が留学した時とは違うだろう(カナダなら尚更)。どのようであれ、君たちのIF留学、良いこと悪いこと、これから先に歩むにつれ、何かしら役に立っていくことを僕は知っています。

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