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2016年08月号より

2003年度生 大 塚 彩 乃

(私)京都女子高等学校よりKansas州、Nebraska州に留学
立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部卒業
(株)日本航空を経て現在ルフトハンザドイツ航空に勤務

IF留学がくれたもの

ドイツでは珍しく高層ビルが立ち並ぶ、ドイツの金融、商業の中心地であるフランクフルトに住み4年が経った。隣国と陸続きのドイツからヨーロッパの様々な街を訪れたが、久々にアメリカに行きたくなった2016年6月、アリゾナやユタを旅した。
 アメリカに降り立つと他の国を旅する時にはない、特別な感情が湧く。どこか懐かしさや安心感がある。今回、遠くまで真っすぐに伸びる一本道を車で走り、ホストファミリーに迎えに来てもらった車の中で同じような景色を見て何てところに来てしまったのだと驚いたことを思い出した。この旅を通して、IF留学がその後の私の人生に様々なものをもたらしてくれたこと、いつまでも色褪せることのない素晴らしい体験だったことを改めて実感した。そんな折、Newsletterの巻頭文をというお話を頂き、留学を検討している方や留学中のIF生に、OGOBのほんの一例として私のIF留学とその後を読んで頂ければと僭越ながら筆を執った。
 高校1年生の夏、日本語スピーチコンテストの各国優勝者が世界大会のため来日し、京都観光をする際に日本の高校生と交流する、という国際交流に参加した。そこで「雷に打たれる」という表現はこれか!という程の大きな衝撃を受けた。同じ歳の高校生が、母国語、日本語、英語を操る。交流イベントの2日間、私のペアだったロシア人の女の子が何度も通訳をしてくれた。家に帰ると無我夢中で留学について片っ端から情報を得た。なんと、高校留学というものがあるらしい!それを知った私は今、高校生のうちに留学しないといけないと、なんの根拠もなく熱く燃えた。大学でも留学は出来るという両親や先生を説得するため、「留学」と名の付く説明会を見つけては行き、様々な情報を集め、両親を説得した。大学で留学するにしろ、世界の高校生の語学力、視野の広さが既に当時の私とはかけ離れていたのだ。このまま日本で高校生をしていてはいけない!今考えるとなんて極端なことを考えていたのだろうと怖くなるが、そんな気持ちで先生も説得した。
 晴れてIF生となり、2003年にKansas州Plainsに、2004年にNebraska州Central Cityに留学した。思春期の2年間をアメリカで過ごし、英語力はもちろん、他文化への柔軟性、考え方、打たれ強さ、友情、様々なものを得た。分からないけどやってみよう、この2年ほど恥をかいた期間もないように思うが、誰でも出来る経験ではない、この贅沢な時間、経験、全て使い切ろうと、そんな意気込みだった。
 1年目のhost familyのdadがイラクで爆弾処理の仕事に就いていたこと、2年目のprivate schoolにはアジア人留学生が数名いたが、当時アジア諸国と日本の関係が悪化する中、地球の裏側でアジア人としての特別な絆があったことなどから国際関係に興味を持った。
 アメリカの大学も受験をしていたが、高校卒業後、一時帰国中の日本で、留学中に得た日本への興味も捨てきれず、秋入学が出来る日本の大学に進学した。大学には多くの留学生、外国人の教授が在籍しており、多くの授業を英語で受講した。在学中、様々な国の留学生と憲法9条改正、アメリカのアフガニスタン、イラクへの軍事介入など、英語で討論する授業を取った。激しいdiscussionの中で、日本人は私だけという環境の中、日本にある意見も知って欲しいという思いで積極的に発言した。大学在学中に受講した思い出に残る授業の数々は、IF留学で得た英語力、外から日本を見る、近くから外国を見るというような視野がなければ受講できなかったものが多い。また、英語クラスのアシスタントも経験し、英語を学ぶこと英語の持つ力を肌で感じた。インドネシア人のアシスタント仲間が言っていた。\\\"English can take us anywhere we want\\\"本当にそうだなと実感している。
 大学院に進学しようと大学の早期卒業プログラムに参加し、3年で大学を卒業したが、当時所属していたゼミのアメリカ人の教授が何気なくおっしゃった「一度社会に出てから大学院に行くのも良い」という一言で、卒業前に就職を決意し、就職活動をした。様々な文化に触れる仕事が良い、そう思って航空会社に客室乗務員として就職した。
 高校、大学と多文化の環境で学生時代を過ごし「グローバルな視点」「国際人」を目指す、外に向いた環境にいた私にとって、日本の航空会社で客室乗務員として勤務する毎日は日本人としての振る舞い、日本人のおもてなしを日々考えさせられる刺激的な毎日だった。国際線を飛ぶようになると、外国人乗務員ともフライトをするし、ステイ先でも外国との接点があった。尊敬する先輩や同期に出会い、貴重な経験をたくさんさせてもらえる環境に満足しつつも、どこかでもう一度冒険や挑戦といったものが感じられる生活がしたい。そんな思いが日々大きくなっていった。こうして社会人4年目を、ドイツに拠点を置いて生活ができる、ルフトハンザドイツ航空で迎えた。
 こうしてこれまでを振り返ると、IF留学後、大学、就職、転職と人生の節目で様々な選択をする機会が訪れたが、その選択肢の中で、これは英語がこれくらい必要だとか、一人でどこどこに住まないといけないとか、英語力や条件などを抜きにして、本当に自分がしたいことと向き合えて来れたことは大きなことだったと実感している。そして親元を離れて高校留学をしたことが自立心や打たれ強さを鍛え、それぞれの環境で前向きに過ごすことが出来た。語学は使わなくなると衰えるし、使っていると一度習得したものはまた戻ってくる。IF留学で得られるものは、語学よりもっと普遍的で大切なもののように思う。大学、就職、転職後とそれぞれ面白いことがたくさんある日々だったけれど、IF生として過ごしたあの2年ほど凝縮された日々はないように思う。十数年前、何の根拠もなく高校生のうちに留学をと突っ走った私だったが、その直感は当たっていた。IF留学なしに今の私はないと断言出来るが、高校生のうちに留学できるという贅沢を経験させてくれた両親には心から感謝している。
 そんなことを言いながら、今回大人になって外国に住むと、柔軟性はあると思っていたのに、高校留学の時には受け入れられたであろう文化の違いに面を食らうことがある。素直に文化に溶け込み、受け入れられた高校生の自分を懐かしく思う。アメリカにいた期間の倍、ドイツに住んでいるが、第二の故郷として挙げるとするとやはりそれはアメリカだ。
 今留学中のIF生も、これから留学する未来のIF生も今しか感じられないことがある毎日を思いっきり活用し満喫して欲しいと思う。楽しいことばかりではないけれど、高校で留学と決断できるみんななら、どんな困難も乗り越えて未来を自由に思い描けると信じている!私もIFのOGとしてこれからも前進していきたい。Your future is in your hands!

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