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2017年02月号より

2006年度生 加 藤 悠 人

滋賀県立膳所高等学校よりLa Crete, Alberta, CANADAへ留学
徳島大学医学部卒業
滋賀医科大学医学部附属病院 呼吸器内科 医員

自分探しができた1年間

2006年にカナダのアルバータ州に留学してから10年間が経過しました。
 母がIF生でカナダに留学経験があったため、最初は英語がペラペラにしゃべれるようになりたいなぁくらいの軽い気持ちで留学を決めました。OBとして数回IFの3月のオリエンテーションに参加させていただく機会もありましたが、大体いつも決まって本人より親が必死に聞いてメモを取っています。実際、僕もそうだったと思います。
 学業面での英語は苦手ではなかったので、まぁ何とかなるだろうと安易に考えていたところがあります。英会話はほとんど練習していなかったので、行ってから戸惑うことは多々ありました。同期の\\\'06年度IF生とそろって出国し、ダラスで個々の留学先へ飛行機を乗り継ぐことになっていました。無事、一人でエドモントン空港に到着したはいいのですが、ホストファミリーが見つかりませんでした。ウロウロ探しまわっても全く見つからないので困ってニューヨークのIF事務局に電話をかけましたが、もちろんそこでも英語での応答を要しました。“Where are you now?”と聞かれ、分けもわからずとっさに、“Near the phone.”と当たり前のことを答えたことは今でもはっきり覚えています。
 そんな留学初日でありましたが、次第に分かることが増えていき、半年もすればだいたい何を言っているのか分かるようになりました。言いたいことも、それなりに言えるようになりました。僕にとって留学で学んだことは英会話だけではありませんでした。ホストファミリーの家族構成としては、ホストファザーが農機具メーカーの社員、ホストマザーが救急救命士でした。留学中に時間があるとき、一度ホストマザーの職場を案内してもらったことがあります。ほんの30分程度でしたが、そこでの経験は医師を目指すきっかけにもなりました。
 カナダの中でもかなり緯度が高い地域だったため、オーロラなどもみることができました。学校生活に関しても、田舎で教える先生がいない科目(Physics)に関しては、別の地域とテレビ電話で授業を受ける等、最先端の技術を取り入れたことも経験することができました。
 アメリカではなくカナダを選んだのは、母親の影響が強かったと思います。カナダはアメリカと比べて、行事やイベントが少なく、アメリカに留学した方なら経験したであろうプロムなどはありませんでした。ハロウィンもアメリカほど派手なものではありませんでした。近年、日本でもハロウィンの仮装を楽しむ人たちもいるようですが、カナダではそこまで派手な演出をしていなかったので、少し違和感を感じてしまいます。
最初は英語を話せるようになりたい程度にしか思っていませんでしたが、結果的には1年留学して英語だけではなく、今後の進路を考えるいい時間が持てたと思います。留学を経験して、進路ややりたいことが具体的に見えてきたという人は、IFのOB・OGと話すとよく聞かれることです。
 1年間留学し、ブランクがあるのは明確だったためリピートして元の学年(高校2年生)に戻りました。同級生たちは高校3年生で受験勉強に必死でした。医学科受験にはセンター試験で理科3科目(物理・化学・生物)が必須であり、帰国後は前の学年の友達に受験情報を聞きながら早期に本格的な受験勉強を開始できたのはよかったかもしれません。とにかく早く医師になりたかったので、自分の学力、センター試験の傾斜配点、2次試験の科目とその難易度など考慮し、徳島大学を受験しました。大学ではいい同級生とも出会い、ともに勉強しながら無事ストレートに6年間の学生生活を終え、国家試験も乗り越えることができました。大学に入るまでは医師は頭脳労働と思っていましたが、実際働いてみると、肉体労働です。2年間の初期研修を終え、呼吸器内科に進むことに決めました。今後も医師を志した時のことを忘れないよう日々研鑽に励みたいと思います。
 留学中の皆様も、これから留学を考える方々も、自分探しとして1年間海外で過ごしてみてはいかがでしょうか。万が一、留学中には分からなくても、必ず帰国後に気づけることがたくさんあると思います。

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