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2012年11月号より

1988年度生 木村浩之

北海道立札幌南高校よりアイオワ州に留学
東京大学(理科1類)入学
自主留年し芸術・美学関連のコースを集中的に受講
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻より、スイス連邦工科大学へ留学
現在ディーナー&ディーナー建築設計事務所勤務(スイス・バーゼル)
担当プロジェクトに、イタリア国立近代美術館増築(ローマ、未完)
展覧会「ディーナー&ディーナー」(東京、2009年)
ホロコースト資料館(パリ郊外、2012年竣工)
ノバルティス上海研究センター研究棟(上海、建設中)など

建築家からの手紙

 スイス・バーゼルにある建築設計事務所に勤めて10年以上になる。「大工になりたい」と幼少期に思っていたことから、建築家という職業についたのも自然な流れだった。しかし、IFでアメリカに留学した当時は、今のような状況―大学院時代に「これだ!」と確信したバーゼルの建築事務所に初の日本人として長く勤務し、その町で家庭を持ち子育てもする―が待っているとは思ってもみなかった。人生とは不思議なものだ。
 建築設計は、IFのOBでは例外的な業種だと思うので、少し紹介しよう。ある1日の行動はこんな感じだ。
 朝7時起床。僕より先に起きていた息子の相手をしてから、徒歩にて出社。職場と家の間は歩いて10分の距離だ。バーゼルは、人口18万人のコンパクトな都市で生活しやすい。フランスとドイツが徒歩圏内にあるだけでなく、国際企業・組織も数多くあり、人口規模にくらべ国際色の強い都市で、外国人にも生活しやすい環境が整っている。スイスの几帳面さは特に日本人には快適だ。
 9時、プロジェクトの関係者と電話会議。フロリダ、ロンドン、上海、バーゼルに散らばるメンバーが参加するので時差の調整が大変だ。照明デザインと設置方法ディテイルについて、工事現場進展の報告、他。もうすぐ上海に行って現物が見られるぞ。しかし設計図通りに進んでいない部分があるらしい。再度説明が必要だ。
 11時、事務所内のプロジェクトチーム打ち合わせ。階段室と地上動線の空間イメージ、光の入り方のスタディ、他。いいアイデアがいくつかあるのだが、まとまらない。それぞれが相容れないのだ。模型を作ってみよう。
 12時半、毎週火曜日は中国語レッスン。通常は帰宅して妻とともに昼食、息子と遊ぶ。この時間が僕にパワーをくれる。
 14時、壁およびドア色サンプルの検討、外装についてのプレゼン準備、Eメール等。
 16時、事務所長と打ち合わせ。鋭いクリティックで、地上動線の考え方に再考を促される。短時間で核心をついてくる所長はやはりすごい。
 17時、再びプロジェクトチーム打ち合わせ。地上動線の別案のスケッチ、もろもろのアイデアがより明確になる。同一紙上に2人でスケッチしているうちにさらに別案を「発見」。思いもしなかったが、これはもっと可能性を秘めているかも。
 18時、上海出張・打ち合わせなどのアレンジ、内装施工図のチェック、Eメール等。
 19時、晩御飯の買い物をし、徒歩にて帰宅。今晩は僕が料理担当。
 僕は現在2件のプロジェクトを担当している。グローバルな製薬会社が上海に開設する新研究施設の建築設計(現在建設中)と、バーゼル郊外フランス国境沿いの都市計画(再開発地区計画)だ。等寸大で起こっている工事中の物件と、都市計画とという大きなスケールのもの、いわば両極端を行き来する毎日。また、一方は上海という遠隔地、他方は地元という距離の違いに加え、一方は実験室という特殊で限定的な空間、他方は住居・学校から商店・事務所までが混在する雑多で開かれた空間という環境も対照的だ。片方にどっぷりつかってしまうと忘れがちな側面に刺激があってとてもいい。
 仕事で使うツールは、トレーシングペーパー(半透明スケッチ用紙)、色鉛筆・ペン、スキャナ、CAD(図面描画ソフト)、膨大なカタログと素材サンプル、そして言語だ。
 建築家とは、ある条件をもとにイメージを描き、まだ現存しないものを売る仕事だ。実際に建設するのは他人なのだ。したがって、とにかく説明し、理解を求め、誤解を解消しながら、求めるイメージを共有してもらえるように勤めなくてはならない。コミュニケーションが仕事の要だ。
 ヨーロッパという多数の言語が密集している場において仕事をするとなると、常に複数の言語が出来ることが要求される。特にスイスは公用語が4つあり、ほとんどの人が最低3言語を使える。従って1日で複数の言語を使うのは特別なことではない。スイスに住んで15年になる僕も最低限の言語は学び、仕事での使用言語は3つとなっている。上海プロジェクトでは、プロジェクト公式公用語が英語だが、事務所内ではドイツ語で打ち合わせをおこなう。(僕の初級中国語では、まだ挨拶ができる程度だ)地元プロジェクトでは、プロジェクト公式公用語はドイツ語だが、たまたまドイツ語のできないフランス人のいるチームのため事務所内ではフランス語で打ち合わせをしている。
 大雑把に、僕の現在の仕事は以上のようなものだ。
 金融や外交などで活躍ている多くのIFの先輩らとは異なり、色仕上げや生地を選んだり、模型を作ったり、「クリエイティブ」な作業が多くあるように思われるかもしれない。また、複数言語を使う一方で、アナログ、ローテクな手法で、のんびりしたスケジュールかもしれない。
 しかし、やっていることは皆一緒だ。目的・目標を定め、それに向かって道を選び、あるいは時には道を切り開き、目標実現をめざす。それだけだ。
 どんな仕事についても、どんなポジションについても、必要なことはこれだけだ。つまりこれができるか、できないかが、ツールや知識にまして重要だ。だから、誤解をおそれずに言い換えると、それは真に自立する力であり、社会的生命力なのだ。
 高校留学が、その社会的生命力を獲得するに向いた最適の機会だと、僕は断言しよう。それは多くの先輩の際立つ輝きと幅広いジャンルでの活躍をみれば明らかだ。
 大事な青春のひととき。わざわざなんでこんな辛い思いをしに来たんだろうと思っているかもしれない。しかし、ここでがむしゃらにもがいた経験が、あるいは知らず知らずのうちにもがいていた経験が、自立する力の源となり、そして将来、自分らしい花を咲かせることになるのだ。そう僕は信じている。今、留学を通してこの社会的生命力を身につけておけば、将来自分がトレーシングペーパーにサインするのか、外交文書にサインするのか、あるいは日本語なのか英語なのかは、さほど大きな違いではない。信じるものを見つけたときに対応できる自分があること、それが一番大事だ。
 僕はといえば、留学時にすこし逃げていたかもしれない。もっとなにか出来たかもしれない。後悔や反省はいくらでもある。しかし、今の自分でいられるのは、今の自分を恥じずにいられるのは、それでも僕なりの僕だけの高校留学があってのことだという思いに疑念はない。
 自分が自分になる、その第一歩、それは困惑と悲しみと苦痛を伴うかもしれない。でも難しく考えることはない。留学生活を楽しくなるように自分から働きかける。それだけ。それがすでに第一歩だ。
あるいは笑顔で日本に帰れるようにする。それだけ。
 きっと日本の親や友達は、その笑顔に留学前とは違うあなたを見出す、そう僕は信じている。

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