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2012年1月号より

1996年度生 久 保  泰

桐蔭学園高等学校よりバーモント州に留学
東京大学理学部地学科卒業
イギリス・ブリストル大学地球科学専攻修士課程修了
東京大学理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了
カナダ王立ティレル古生物博物館ポストドクトラルフェローを経て
2006年4月より福井県立恐竜博物館学芸員

恐竜研究とIF留学

 皆さん初めまして。96年度生の久保泰と申します。現在、私は福井県の博物館で展示解説を作ったり恐竜などの絶滅した爬虫類の研究や発掘を行っています。今回、IFの事務局からお話をいただきましたので、私の留学経験について僭越ながら筆をとらせていただきます。
 私が恐竜の研究を仕事にしたいと思ったのは、随分と小さいころです。三歳のころに、私の親が恐竜の本を買ってくれたのです。どうやらその時に私が欲しかったのはウルトラマンの怪獣の本だったようで、泣いて嫌がる私に怪獣よりも教育上よいということで私の母親は恐竜の本を買ったようです。その後、私は恐竜が大好きになりました。恐竜の名前がカタカナで書いてあるせいで、ひらがなよりも先にカタカナを覚えたぐらいで、恐竜の本のおかげで文字も覚えて親の思惑どおりになりました。幼稚園でも将来なりたい職業には「恐竜の骨を掘る人」とずっと書いていました。普通の男の子は小学校ぐらいで恐竜から卒業します。しかし、以前ほど熱狂的ではなくなりましたが、私は小学校以降もなんとなく恐竜が好きで将来は恐竜の研究者になろうと思っていました。恐竜などの絶滅した脊椎動物の研究は欧米でさかんなので、研究者になるためにはいつかは海外に留学しなければいけないということは理解していました。しかし、それは大学あるいは大学院でのことだと考えていましたし、引っ込み思案であまり社交的でもない自分が高校で留学するとは全然思っていませんでした。
 それが変化したのは私の姉がIFで留学したためです。私の姉はカナダのアルバータ州に留学したのですが、そのホストファミリーが冬休みに私ともう一人の私の姉を家に招いてくれたのです。姉が英語をペラペラとしゃべり、多くのカナダ人の友達に囲まれている様子を目撃した私は、社交的な姉と私の性格の違いも忘れて、留学ってなんて楽しそうなんだろう、と思ったのです。それ以上に衝撃だったのは、姉のホストファミリーにつれていってもらったティレル博物館でした。カナダのアルバータ州はユネスコの世界遺産になっている州立の恐竜公園があるくらい恐竜がたくさん見つかるところで、恐竜がたくさん展示された古生物専門のティレル博物館があります。ここの展示の一部に電話の受話器で解説を聞く場所があったのですが、当然のことながら当時の私には英語が一言も聞きとれず、これはまずい、姉のように留学して英語が上手くならないと恐竜の研究者になるなんておぼつかないぞ、と短絡的に考えたのです。どうやら、私の親は私を留学させたかったようで、留学することに非常に協力的で私も姉と同様にIFで留学させてもらうことになりました。
 私が留学したのはアメリカ・バーモント州のリンドンという町です。IFの留学先としては比較的都会の部類だと思いますが、人口が5000人程の町で、ホストファミリーの家には羊が2頭いました(途中で肉にされてしまって地下室にぶら下がっていましたが…)。留学ではやはり友達づくりと英語には苦労しました。良く覚えているのが、高校に行って初めて教室に入った時に先生からいきなり何かを言われて、3回ぐらい言われたのにさっぱりわからずにきょとんとしていたら、前にいた生徒がやおら立ち上がって電気を消した事です。先生はドアから私が入ってきたので、これさいわいと「電気を消してくれ」と言ったのですが、私には全く聞き取れなかったのです。それでも半年たつころには、なぜか人の言うことが八割方わかるようになっていました。宿題が多いのにも閉口しました。最初は夜の二時ぐらいまでやっていましたが、根が適当な性格なので、そのうち全部はやらずに寝るようになりました。一番の苦労はやはり友達作りでしょうか、友達は体育の授業が一番作りやすかったのですが、私はなぜか高校3年生だったのに、体育のクラスは中学3年と同じだったので(高校は4年制でした)その学年の友達がほとんどだったのを覚えています。最後まで、姉のように友達がたくさんいるというわけにはいきませんでした。でも今振り返ってみれば、部活をやって(地元の新聞にビリでも名前が乗るので少し恥ずかしい)、数学オリンピックの州の代表になったり(フィラデルフィアまで東部代表を選ぶ試験に行ったら、なんと問題が放送で流れる形式で数学の英単語が全く分からない私は一問も回答できませんでした)、メープルシロップを煮たり、友達に拳銃を撃たせてもらったり、帽子を投げる卒業式をやってプロムに出て、と色々な思い出があります。留学に行って一番良かったのは、自分がしようと思えば、外国で一年暮らすこともできるんだなあと実感して、大げさに言えば自分の人生というものは自分で決められるものなんだと思えるようになったことでしょうか。もう一つは、自分の家族やホストファミリーなど、周りの人に自分が支えられていることを実感して感謝の念を強く持つようになったことだと思います。
 私はIF留学の後にも修士を取るためにイギリスに一年間留学し、三年前には研究者の卵としてIF留学の契機になったカナダのティレル博物館で一年間勤務しました。大学院で留学すると勉強が中心になりますし、海外の博物館に勤務する場合は研究が生活の中心になりますから、外国で生活をすることそのものが目的である高校留学とは随分と違います。
 一方で、何回外国で暮らしても、やっぱり英語に対する苦手意識はとれませんし、今回こそはと思っても、やっぱり人見知りしてしまって、なかなか友達ができないというのは変わらないようです。それぞれの海外生活を比べて思うのはIFでの留学がホストファミリーと暮らすこともあって、現地人として暮らしている実感が一番あるということだと思います。現地人に入りこんで暮らす体験というのは、大変なこともありますが、高校留学でしか味わうことのできない非常に貴重なものだと思います。
 これから留学される高校生のみなさん。留学してすぐに友達ができて楽しく過ごされる方が多いでしょう、それはすばらしいことだと思います。一方で、引っ込み思案でなかなか友達ができず、なんで自分はこんなところに来たんだろうと思う方、思っている方もいるでしょう(私もそうでした)。辛いと思っている方も、留学が終わって振り返った時に、けっこう楽しかったな、日本ではできない色々な体験ができたな、そして自分もやればできるんだなとちょっぴり自信がついていると思います。それだけは保障しますので、頑張って、そしてできれば楽しく、一年間を過ごしてください。

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