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2009年11月号より

1988年度生 樋口真佳

(私)親和女子高校よりSouth Dakota州に留学
(私)慶應義塾大学総合政策学部卒業
(株)TBSに入社
(私)ニューヨーク大学芸術学部大学院で修士号取得
(株)TBS 報道局政治部記者

「行き先は田舎が多いよ。」IFの先輩たちから何度も言われていた。覚悟はしていたが、私の行き先はその中でも田舎だった。アメリカ人に話をしても未だに「行ったことないよ。」、時に「それってアメリカ?」と言われる中西部のサウスダコタ州だ。「大統領4人の顔を岩山に彫ったマウント・ラッシュモアのある州。」と説明すると、大体の人は「あぁ、写真で見たことがある。」と言ってくれる。ただ、私が滞在した町はその州内でも田舎。88年当時で人口が300人程度のデルモント。通っていた高校は私たちの卒業を最後に閉校になった。

17歳だった私がアメリカの都会の華やかさに憧れなかったと言えばウソになる。夏になると家の中にオレンジと黒の縞模様の虫(名前は忘れました)が入ってくる。町の人は最初は親しげだが、もう一段深い部分には新参者は入りにくいという独特の閉鎖性があった。そして何より人が少ない。ただ、思い出すと笑顔になる出来事の方がもちろん多い。サンクスギビング、クリスマス、誕生日など記念日には必ず親戚で集まり、ローストした七面鳥など手作りのご馳走が並ぶ。野菜やフルーツは旬の時期に大量に購入し、保存食を作る。調理、瓶詰めと言う作業を家族全員で分担し、1日がかりで行うのだ。羊は近所の牧場でホストファーザーが自ら選び、精肉店に預けて解体、冷凍保存してもらっていた。こうした出来事は田舎ならではの貴重な経験だったはずだ。

IFの先輩たちは、こうも言った。「ニューヨークやロスと言った都会は社会人になってからいくらでも行く機会はある。田舎で、しかも地元の人と一緒に住む機会は今しかない。」、「仕事をする上で、アメリカの田舎を知っていると言うことで有利だったことがあった。」それも、その通りになった。

06年、私は勤務先のTBSからの派遣でニューヨーク大学の大学院に留学、修士号を取得した。芸術学部のITP(双方向通信学科)は一学年が100人程度。サウスダコタ州の高校を卒業したと言うとアメリカ人からも驚かれた。珍しがられた。「アメリカ人の97%は行った事がないでしょう」と謙遜すると、「いや、それよりも多いと思う」と返される。都会育ちの教授や同級生たちにとって中西部は「価値観」と言う意味で外国のように遠いと言う。ニューヨーク大学では「瓶詰め」の経験者に会うこともなかった。中西部の田舎と東海岸の国際都市。極端な例とは言え、アメリカの両面を比較できるのは純粋に楽しい。私にはちょっとした自慢だった。

中西部での経験は、仕事にも役立った。私はTBSでは報道局に所属し、一番長く担当したのは政治。08年にはアメリカ大統領選の民主党の予備選を取材した。多くの州で予備選が行われる天王山、スーパーチュースデイまでの2週間、元大統領夫人のヒラリー・クリントン候補の遊説に同行したのだ。ニューヨーク、アトランタ、サンディエゴ、ロサンゼルス、ニューヘブン…。途中で何度もニューヨークに戻る。まさに東奔西走だ。社内では、「ヒラリー番」(ヒラリー氏の番をする人の意)と呼ばれた。

アメリカの選挙を見る上で、貴重だったのは、高校時、短期間とはいえ中西部の保守性に触れていたことだ。都市部にのみ滞在した皆さんは、リベラルな人々に囲まれ、なぜブッシュ大統領の共和党政権が8年も続いたのか理解に苦しむかもしれない。ただ、私のホストファミリーをはじめ、周囲の人々の保守的な考えはそう簡単には覆りそうにない。

私がIFを通じて留学した88年も、ちょうどブッシュ大統領(今年1月まで大統領だったブッシュ氏の父)が誕生した大統領選挙があった年だった。私のホストファミリーは共和党支持者でもちろんブッシュ候補を応援していた。ホストファミリーは、テレビ討論会の日は、町のメインストリートにあるバーに繰り出し、友人たちと一緒に「観戦」する。周りは殆どが共和党支持者だ。相手候補は民主党のデュカキス氏。私のホストファーザーはとても知的でやさしく、温かい人だが、デュカキス氏には厳しかった。「まず名前が悪い。デュカキスはギリシャの名前だ。もっと普通の名前が良い。そして背が低い。アメリカのリーダーには大きくあって欲しい。」

保守性だけではない。インディアン居留地や農業従事者への補助金問題、都市部との経済、教育格差…。中西部、或いはアメリカの地方が抱えるこうした問題は、IF留学時からよく耳にし、身近だった。よくマスメディアを通じて見聞きするアメリカの都市部だけをイメージしていては、アメリカを見誤ると高校生なりに感じることが出来た。社会人になって取材をする際も、問題の根深さを実感しながら原稿にすることが出来る。

そして、今年4月。私は報道局の政治部の外務省担当になった。毎朝、東京・霞が関の外務省本省内にある記者クラブに出勤する。同省が所管することを取材し、原稿を書く。時にレポートもする。もちろん、外務省内にはアメリカに住んだ経験のある人は多い。皆さん、私よりずっと長く滞在し、政治や行政の世界に多くの人脈を持っていることだろう。ただ、中西部を経験した人がどれくらいいるだろう。少なくとも、サウスダコタ州に住んだことがある外交官にはまだ会っていない。

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