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2015年04月号より

1997年度生 麻 田 俊 行

(私)麻布高校より Washington州に留学
(国) 東京大学 文学部卒業
株式会社アポロ・プロダクション代表

懐に飛び込むということ

 映像の仕事をしたい。それならまずは本場のアメリカに飛び込みたい。という思いで高校留学を決意したのが高校1年生の時でした。偶然にも部活の顧問の先生がIFのOBで色々と詳しいお話をお聞きできたのが幸いで、そこからトントン拍子で留学まで決まってしまい、気が付いたらみんなと一緒に飛行機に乗ってアメリカにたどり着いていました。
 今にして思えば高校生ならではの楽観的な行動だったかと思いますが、その背景には親の強いサポートがあり、それを感じさせずにただ背中をそっと押してくれていたことには感謝しかありません。
 アメリカのホストファミリーの家に到着して、まず驚いたのは家族の多さと犬の多さでした。ホストシスターが3人もいて、さらにおじいさん夫婦とおじさん家族も隣接した家に住んでいて、ホストファミリーは合計9人。犬は10匹いました。とても陽気で楽しい家族だったのでいつもそこら中で会話が飛び交っており、留学して最初の頃は殆どみんなが何を話しているのかさっぱり分からず、まさに英語の洪水の中にいきなり飛び込んでしまった感じでした。そしてその足元を10匹の犬が走り回っていました。
 高校では色々新しいことにチャレンジしたいと思っていたので、秋のシーズンは体も小さいのに屈強なクラスメイトに混じってアメフト部に入ってみたり、春のシーズンは足も大して速くないのに陸上部に入ってみたり、踊ったこともないのにダンスパーティーに行ってみたり、人前で喋るのは苦手なのに地元の子供達に日本文化を教える授業をしてみたり、多くの経験をさせてもらいました。
 留学していた10ヶ月間。良いことも悪いことも含めて本当に色々なことがありましたが、ただ当時のことを振り返って強く覚えていることは、例えば高校の昼食の時の友人とのバカ話だったり、アメフトのユニフォームを着て芝生に寝転んだ時に見えた青空だったり、ロッカールームの汗と消臭スプレーの匂いだったり、ホストファミリーと旅行した時に車の中から見えた夕日だったり、そんな些細な日常の数々だったりします。そしてそんな普通の日常をアメリカで過ごすことが出来たということが何よりも自分の糧になっている気がします。
 自分にとっての高校留学は、例えば英語が上手くなったりとか、プレゼンが上手くなったりとか、そういったプラクティカルな部分での成長もあるにはあったかと思いますが、それよりは「とにかく一度懐に飛び込んでみれば何とかなる」という自信のようなものが付いたことが一番だったと思っています。逆に言えば、相手の懐にまず飛び込んでみなければ何を為し得ることも出来ないことを知ったような気がします。
 初志貫徹というわけではありませんが、留学から戻ってきて日本の大学に入った後、どうしても映像の仕事をしたくて大学3年生の時に映像の制作会社に飛び込みました(その結果大学を卒業するまでに6年ほどかかってしまいましたが 笑)。29歳の時には、宇宙に飛び出したアポロ号のように、日本を飛び出して世界的なプロダクションにしたいという思いから「アポロ・プロダクション」という映像制作会社を立ち上げ、今年で7年目を迎えようとしています。
 学生の頃に仕事をはじめたときも、会社をつくったときも、元来自分は小心者で臆病なので色々と逡巡してしまうことは多くありましたが、高校留学の時の思いと同様に、「とにかく一度相手の懐に飛び込んでみよう」という思いで行動していました。自分の力は微々たるもので、多くの方々に助けていただき何とかここまで来られたと思っていますが、最初の決断はやはり自分にしか出来ません。あまり無責任なことは言えませんが、最低でも自分自身にとっては、やるかどうか悩むんだったらとにかくやった方がいい、というのは人生経験として身に付いています。
 これを読まれている留学予定の方、留学中の方、そのご父母の皆様、様々な方がいらっしゃるかと思いますが、高校留学で得られるものは人によって様々だと思います。場合によっては英語力もそれほど伸びない場合だってあります(自分もそれほどは英語が喋られるようになりませんでした 笑)。ただそれよりも貴重な高校時代の1年間を外国に単身で飛び込んで揉まれて帰ってくる、それは他には変えられない得難い経験になるのは間違いありません。ぜひ素晴らしい留学生活を送ってください。

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