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2012年4月号より

1976年度生 中島将誉

早稲田大学高等学院よりIndiana州に留学
早稲田大学政経学部卒業
(在学中2年間、経団連の派遣奨学生としてドイツのマールブルク大学に留学)
NHK静岡放送局、政治部、国際部、米国特派員、国際局に所属
現在、NHK国際放送の編集責任者兼解説者として勤務

留学は大学より、高校生のうちに!

 私は父が海外生活が長かったことに影響されて、高校生になるとESSに入り、しゃべれる英語の習得に力を入れるとともに、「将来、何になりたいか」等はまだ全く決めていなかったが、取り敢えず留学して語学を身につけたいという思いが強くなる中、IFに出会った。私がホームスティさせてもらったSTACKHOUSE家は、州都インディアナポリスから車で一時間あまりの典型的なアメリカの田舎にあり、父親が農業関係の会社の社長で、大学中退の長男などが農業を行う典型的な米国中産階級だった。この家族は、私の前にも、ニカラグアからの高校留学生を受け入れたことがあり、教会などの慈善活動にも積極的で、私も温かく受け入れてもらった。私は、ほぼ私と同じ年齢の三男と一緒に高校に通い、家庭、学校、放課後や休日の友人たちとの遊び、また、たまの家族旅行など、ほんとうに楽しく生活をさせてもらった。
 英語は、ESSで学んでいたこともあり、日常生活にはあまり困らなかったが、学校の授業についていくための宿題、特に毎日、かなりのページを読んで理解してくるというのは、大学の勉強ほどではないにせよ、翌日の授業で先生から質問を当たられ、答えられるかどうかで成績が決まるので、楽ではなかったが、勉強にはなった。また日本での漢字の書き取りテストと同じく、現地のSENIOR ENGLISH CLASSでは、毎日、10あまりのボキャブラリーを覚えて来いという宿題とそれを確認するためのテストがあり、これも大変だったが、米国人の高校生も日常会話ではあまりつかわない単語や表現を覚えるのに四苦八苦しているのを見て、どの国でも勉強は同じだとかんじた。たまにテストの時間中に、「おい、この動詞の過去と過去分詞は何だっけ?」などと、cheatingして聞いてくる友人に、「お前、普段の会話でも使っているんだから知っているだろ!」と言いながらも、教えてあげると「ああ、何だ、これでいいのか。」などと言っているのを見て、文法や単語から入る日本人の強みも感じた。 ホストファミリーと友人にも恵まれ、いろいろな経験もさせてもらった。プロムや週末のデート、小型ライフル銃での狩り(今考えると、小動物に悪いことをした!)、車ごと入る映画館、ボーリング、教会での讃美歌やSUNDAY SCHOOLで町の他の子供たちとの交流。現地に溶け込み、経験を通して覚えた英語は、今でも懐かしい思い出とともに、身体で覚えているところが多く、就職後はしばらく英語とは縁のない生活を送っていたが、いざ、必要な時になると、取り戻すのも早かった気がする。実際に就職後、どのような場面で英語が必要になったかは後に記すが、私が一番、強調したいのは、高校生のうちの留学は、大学留学で単位を取るために勉強するというよりは、ホストファミリーや学校生活など実際に地元の米国人たちとの交流の中で英語を身に付けていく面が強いので、思い出とともに身体にしみ込み易いという点だ。大学留学では、まわりに日本人が多く、日本人同士で集まったりすることも多く、現地人の恋人でも出来ない限り、いくら米国にいるとはいっても、実際に米国人と生活を通しての交流を行う機会はかなり少ないと聞いている。私は大学ではドイツに留学したが、国は変わっても、そうした面はあったと思う。大学生になると、もう大人なので、高校生のような子供の遊びをする機会もないだろうし、本人もそうしたことへの興味を失っていることが多いからだと思う。一方、就職後、仕事で使う英語という面では、高校で学ぶボキャブラリーよりも、大学で学ぶものの方が数段上だということも事実だと思う。実際、私は、留学先の高校で毎日行われたボキャブラリーのテストでかなり良い成績だったが、特派員時代に米国政府や国連の公式文書を読んだり、ニューヨークタイムズの記事を読むのは、はじめは大変だった。いわゆるタブロイド紙は、そうでもなかったが、とにかく自分の英語がエスタブリッシュメントの米国人のものではなく、田舎の高校生、またはいわゆる労働階級並みであることを悟った。そうした意味では高校生並みの英語のままで満足せず、その後の努力も必要だ。しかしそれでも、仕事で知り合いになった米国人などと、くだらないジョークやかつてのテレビ番組など、生活に根付いた話題をくだけた英語で話し、早く打ち解けることが出来たことなどは、やはり高校での留学でしか身につけられなかった貴重なものだと確信している。
 NHKの政治部時代は、総理大臣や外務大臣等の同行取材でかなり多くの国に出張したので、そうした際には、身に付いた英語はかなり役にたった。その後、米国特派員となってから、6年近くNYやワシントンで取材したが、2001年の9.11同時多発テロの際には、次々に警察や消防などから入ってくる英語の生の情報を自分だけの責任で瞬時に日本語に訳し、そのまま生放送で日本全国に伝えるという重要な役割を果たすことが出来、やはり身に付いた生の英語は役だった。同時多発テロ事件後、しばらくの間、全米の民間航空機がストップしたため、東京はおろか、NHKロサンゼルス事務所からの応援もNYやワシントンには来れない。その間、24時間、毎時間、生中継で、崩壊したワールドトレードセンターを背に、救出作業やテロリストの捜査など、まさに現場で埃にまみれながら取材し、その結果を日本に伝えた。警察官や消防署員もいきり立っており、かなり怒鳴られたりしながらも、仲良くなって「自己責任だぞ!」と言われながら、立ち入り禁止の警戒線内に入れてもらったりもした。カメラマンとともに、迫真の映像を撮り、立ちリポもとって、exclusiveなリポートを東京に送り、日本全国に伝えることが出来た。体で覚えた生の英語が、こうした現場での取材の役に立った。普段の会話では、米国人も、ほとんど大学で習うような、新聞や雑誌に出てくるような単語は使わない。それより、如何に日常会話をスムーズに早く、気を抜いてしゃべれるかで、人間関係は決まってくるのだ。気を許せる仲になることが一番、大切なのだ。
 それまで「アメリカ・アズ・ナンバーワン」で自信に満ちていた米国人が、この同時多発テロ事件を境に、一時的にはやさしくなった。日本の大震災の際と似ている。しかし一方で、ブッシュ政権の強硬策とともに、異質な文化への排他的な性格も強めていった。私は、事件そのものの行方も大切だと思ったが、米国人の心の移り変わりを、如何にリポートで伝えていくかを考え、全米を回り、人々の動きを追い、伝えた。こうした中で、IFの留学時代にお世話になったホストファミリーにも話を聞きに行く機会を作り、米国人の心の変化をとらえていくことが出来た。20年余りたっていたが、すぐ温かく迎えてもらった。本当にこのような貴重な経験を与えてくれたIFに感謝の気持ちでいっぱいだ。
現在は、日本やアジアのニュースを中心に全世界に伝えるNHKワールドTVの編集責任者兼解説者として働いているが、部下には多くの米国人、イギリス人をはじめ、多くの外国人がおり、IFでの留学ではじまった私の英語は、現在、最もその威力を発揮している。今でも辞書を引くことは多く、英語の奥深さを感じている。
 これから留学される皆さんは、楽しいこと、悲しいこと、様々な体験をするだろう。でも、どんな経験でも、必ずあなたの将来に役立つ。英語の勉強というより、人々との生活、暮らしを楽しんできてほしい。


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