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2022年5月号より

1988年度生 磯部 聡子

大阪府立生野高校から オレゴン州に留学
東京外国語大学英米語学科卒業 香港上海銀行に勤務後1997年に香港へ移住
外資系、日系証券会社、投資運用会社などを経て
現在フリーのIR(インベスターリレーションズ)通訳として活動
2021年9月よりニューヨーク州在住


とりあえず動いてみよう

 私はとある知人から「重機母ちゃん」と呼ばれている。ある時はダンプカーのように大量の荷を積んで勢いよく疾走し、ある時はブルドーザーのように土砂を押しのけ道なき道を行く、と、格好は悪いがパワフル、ということらしい。私は最高のお誉めの言葉だと思っている。
 私が留学したのはもう30年以上も前のことでインターネットもスマホもない時代のこと。当時私は大阪の片田舎の普通の高校生で、どういうわけか自分が「井の中の蛙」にすぎず、世界はもっと大きい、と常に強く感じていた。そんな時たまたま高校留学という道を新聞で見つけ、「これしかない」と飛びついた。パスポートさえ持っていない母、仕事で一度海外に出たことがあるだけの父、高校の先生たち、皆そろって大反対だった。「そんなに行きたいなら大学に行ってからちゃんと勉強に留学すればいいだろう。高校なんかで留学したら行く大学がなくなるぞ。」と。しかし16歳の私は「それでは遅い。今行って外を見てきたい。」と熱意一本で押し切り、留学したのがオレゴン州の東の端、車で5分も行くとアイダホ州という小さな小さな町だった。(話がずれるが、数年前に3人の子供たちを連れて再訪した際、携帯電波も届かない畑の中の道を運転しながら「ここにインターネットもなくて10か月住める?」と子供たちに聞いたところ「無理!」と即答された。)
 留学中は本当に何にでもトライした。レッスンなど受けたこともないのにコーラス部に入ってソロで大会に出たり、運動音痴でも走れないなら投げる、と春の陸上シーズンにはやり投げ、円盤投げ、砲丸投げに挑戦するという無茶ぶりだった。でも挑戦することで自分の世界はどんどん広がったし、少々のことではへこたれない強さも身に着けることができた。人に助けを求めることも学んだ。何かに挑戦するとき、壁にぶつかったときにはどうしたら壁の向こう側、目標点に到達できるのかを考える、というその後30年余り持ち続けているすべての物事に対する基本姿勢は留学でのチャレンジの連続が基礎にある。壁を乗り越えるのか、突き破るのか、はたまた壁の周りをぐるりと回っていくのか、道は一つではないと学んだのも留学中の試行錯誤の成果だ。
コロナ禍も2年以上になり、経済も、社会生活もありとあらゆるものにおいて停滞感がある。何においても「できない理由」は簡単に見つかる。こういうときこそ、とりあえず動いてみること、「どうしたら実現できるのか」を考えて行動することの意義はとても大きいと思う。動くことのリスクももちろんある。しかし誰も先行きが見えない世の中だからこそ、自分で行動してみることで景色も変わるし、得られることも多いのではないだろうか。協調性を重視する傾向が強い世の中で新しいことに挑戦すること、行動をおこすことには勇気がいる。でも行動を続けるとそのハードルはどんどん下がる。
 私は昨年夏までの24年間を香港で過ごした。それまで欧米にしか目を向けてこなかった私だったが、ご縁があって大学卒業後は香港上海銀行(HSBC)に就職、そこで香港というアジアの街と出会った。96年に出張で訪れた中国への返還直前の香港の街と人々の活気に圧倒され、どうしても住んでみたくなり、1997年に「2、3年」というつもりで香港に移り住んだ。が、結局香港で夫と出会い双子の娘たちと息子に恵まれ、気が付くと24年がたってしまった。子供たちは小学校卒業まで日本人学校にお世話になったが、中学校からはインターナショナルスクールに転校させた。ところが、香港でずっとラグビーをしていた次女が「日本の高校に行って日本でラグビーをしたい。」と言い出したのだ。35年前の自分のことはきれいに棚に上げて「香港でクラブチームで続ければいいじゃないか。」「受験なんて突破できるのか。」「住んだこともない日本でやっていけるのか。」と、いろいろ翻意を試みたものの娘の思いは強かった。結局コロナが猛威を振るう中、中学3年生で日本人学校に再編入、オンライン授業による受験準備を始め、無事昨年春に娘は日本の高校に入学、寮生活を始めた。この1年間、娘にとっては初めての日本での生活、寮での集団生活、さらには肝心のラグビーも怪我の連続でほとんどできずじまいと、かなりつらい1年であったが、精神的には大人になったし、強くなった。当初は諦めて帰ってくるかもと心づもりしたほどだったが、娘は時に弱音を吐きながらも踏みとどまり、挑戦し続けている。この経験というのは一生彼女の糧になると信じているし、自分の道を突き進んでいる娘を誇らしくも思う。また、親として娘を送り出してみて、あのインターネットもない時代に高校留学に送り出してくれた当時の親の覚悟、勇気がいかほどであったかを身に染みて感じている。
 そして昨年夏、日本に進学した娘以外の家族は夫の転勤に伴ってアメリカニューヨーク州の郊外に引っ越してきた。双子のもう一人の娘と息子は香港の小さなインターナショナルスクールから地元の大きな高校、中学に昨年秋から転入し、それぞれ毎日ありとあらゆる壁にぶつかりながら、世の中の広さを実感しつつ頑張っている。私自身も高校留学以来のアメリカでの生活に慣れないことばかりで失敗の連続でもある。でもこれからどんなことができるだろう、と思うととても楽しみでもある。
 さて、まもなく帰国するIF生の皆さん、少し後ろを振り返ってみてください。あなたの後ろにはあなた自身がブルドーザーになってこの1年切り開いた自分だけの道ができていることでしょう。そしてまもなく出発する皆さん、どうぞ高校留学という行動を起こした自分に自信を持って、これからの留学生活を楽しんでください。 皆さんの高校留学経験がこれからのご自身の人生を切り開いていくパワーの源となることを、心から祈っております。

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