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2014年05月号より

2005年度生 関 根 悠 介

麻布高等学校よりKansas州に留学
東京大学経済学部経済学科卒業
経済産業省 大臣官房 総務課 勤務

彼を知り、己を知る

 私が留学に旅立ってから早くも9年が経過しようとしている。社会人3年目を迎えた今、改めて当時を振り返ると、当時の経験が自分の進路に大きな影響を与えていること、当時身につけた考え方や物事への取り組み方が社会人として働く上での基礎となっていることに気づかされる。今回巻頭言を書かせていただくにあたり、そうした経験に触れつつ、留学中または留学を目指している皆さんにお伝えしたいことを述べたいと思う。
 そもそも私が留学を希望するようになった最大の理由は、当時から私が政治・経済・外交といった分野に興味を持っていたからだった。そして、日本が世界第2位(当時)の経済力を持ちながら、外交面での弱さが際立っている(ように見えた)ことに歯がゆさを感じ、将来は国際交渉の場で(特に欧米諸国を相手に)日本の主張を貫き、国益を追求していく仕事がしたいと考えていた。今でも3月のオリエンテーションでの自己紹介の際に、「日本の外交をなんとかしたい」と宣言した、青かった自分(今もだが)を鮮明に記憶している。外交の場で主張を貫くには、英語はもちろんのこと、相手のことを知っていることが非常に重要だと考え、世界一の超大国アメリカでの生活を経験したいというのが、留学の最大の動機だったのである。
 私が留学した町Neodeshaは人口3000人弱の小さな町であった。典型的なアメリカのカントリーサイドの町であり、到着した際には、「本当にイメージ通りのアメリカに来た」と実感した。ホストファミリーは50歳前後の夫婦の家庭で、私とメキシコ人留学生を受け入れてくださり、空港からのホストの家に向かう途中、4人でハンバーガーをほおばるところから私の留学生活が始まった。こうして始まったアメリカでの留学生活について、楽しかった思い出を挙げればきりがない。またIFのOB・OGの方々からよく聞くような、ホストファミリーとの生活における苦労話というのも、率直に言って私にはほとんど経験がない。それくらい環境に恵まれた留学生活であった。
 とはいえ、異国の地での長期間に渡る生活の中で、戸惑うこと、驚くこと、気づかされること、いろいろな出来事に向き合い考えさせられた。
 何よりも驚いたのは、「停電」が頻繁に(月1回くらい)発生したことである。都内とアメリカのカントリーサイドを単純に比較することはできないが、日本にいるときに停電などほぼ経験したことのなかった私にとって、同じ先進国のアメリカで停電を経験することになるとは思ってもみなかった。1回の停電で実際に電気が止まっている時間は30分に満たないことも多かったため、日常生活を行う上ではさほど支障は感じなかったものの、この経験は「電気はついて当たり前」と考えていた私の考えを大きく変えた。そして、ほとんど停電の起きない日本の電力インフラ・エネルギーインフラのありがたみに気づかされるきっかけとなったのである。
 こうした意識をもって大学時代に就職活動に臨もうとしたまさにそのとき、くしくも東日本大震災と福島第一原子力発電所事故が発生し、日本の電力政策・エネルギー政策は大きな転換点を迎えることになった。その際には、アメリカで感じたプラス面ばかりではなかったという現実が突きつけられ大きな衝撃を受けたが、より一層、自分が感じたプラスの側面を維持しながら、震災と原発事故により明らかになった負の側面を解決していく仕事に取り組む機会を得たいと考え、現在の職場を就職先の希望として選択することとなった。「エネルギーインフラ」への意識が留学時代に養われていなければ、私は違う職場を選んでいた可能性が高かったかもしれない。その意味で、まさに留学が私の進路に大きな影響を与えたのである。
 また、高校でのアメリカ史の授業が非常に印象深かった。アメリカ史の授業では、先生が「~についてどう思うか。」という問を投げかけ、生徒がその問について調べた上で自分たちの意見を述べるという形式で進められることが多かったが、あるとき投げかけられた問が「原爆を日本に落としたことについてどう思うか」というものだった。私が留学前に聞き及んでいた話では、「アメリカでは日本への原爆投下は正当化されている」というものであり(実際そういう側面が大人の世界では強い)、生徒たちも「必要だった」という回答が多いのではないかと予想していた。しかし、ふたを開けてみると、クラスの全生徒が「悪いこと、落とすべきでなかった」という回答であった。もちろん中には日本人の私がいることで遠慮した人がいたかもしれない。しかし、このとき、ほとんど初めて原爆について学ぶ高校生が自分で情報を収集して出した純粋な感想が、どちらの立場に偏るわけでもなく一人の人間として感じる普遍的とも言えるものにそろったことに、私は驚くとともに、よっぽど自分の方が先入観を持っていたのだと恥ずかしくなった。
 先入観や思い込みというのは、誰もが当然持っていることであるしそれ自体悪いことではないが、このエピソードのように留学生活中に自分自身が持っている先入観や思い込みを意識させられる機会が幾つもあった。そうした経験から、ある出来事に向き合ったとき自分自身が先入観や思い込みに囚われていないかできる限り意識するよう心がけるようになった。この意識は、省内全体の取りまとめと省外との窓口を担い、相手と迅速かつ円滑なやりとりを要求される現在の部署で働くにあたって、非常にプラスとなっている。先入観や思い込みで突き進むと得てして相手と衝突してしまうことも多い中、そうした衝突を避けるブレーキ役となってくれているからだ。
 ここまで述べてきたように、はじめは「相手のことを知る」を動機とした留学が、相手のことを知れば知るほどそれ以上に自分と日本のことを本当の意味で知る機会となった。そしてそれまで気づかなかったことに気づく機会となった。それは、初めて長期間海外生活を行い、接したことがなかった価値観や現地の生活を肌で感じたことで、それまでと異なる視点から自分や日本のことを従来の視点と比較して考えることができたからに他ならない。
 留学生活をするにあたっては、まず現地の生活、価値観を受け入れ自分自身をそれに合わせていくことが大事になると思う。向こうの生活にしっかりと溶け込みいろいろなことを見聞きし経験するだけで、「あー楽しかった」といえる留学生活にはなる。ただ、それを一歩昇華し、人生の糧となる本当の意味で充実した留学生活となるよう、今一度、これまでの視点との比較をしながら、自分自身や日本そして留学先のことを考えてみてほしい。そうすれば自分の人生に大きな影響を与えるような気づきに出会えることだろう。そうした気づきに皆さんが出会えることを願ってやまない。どうぞ素晴らしい留学生活を!

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